摂政に就任した聖徳太子は、仏教興隆の誓いを果たすべく、海に臨む難波津と呼ばれた当地に四天王寺を創建した。蘇我馬子創建の飛鳥寺と並び記録に残る寺院としては日本最古。

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入唐救法を終え10年を経た816年最澄が四天王寺を参詣する。天台の根本教義である法華経を請来した聖徳太子こそ日本の天台の開祖と仰ぎ、のちに太子を天台大師の師にあたる慧思禅師の生まれ変わりと説いた。
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最澄の来訪により天台化が進むとともに、比叡山とのつながりは、法華思想や、比叡山で広まっていた釈迦如来への信仰、特に舎利信仰をもたらした。法華経は女人成仏という思想も含んでおり、弱い立場に置かれていた女人たちの信仰も集めることとなった。

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太子殿の門の扉には、金の菊の御紋が取り付けられている。
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日想観:西の海に沈む夕日を拝して日輪を心に留め、極楽往生の様相を思う行のことで、藤原道長・頼通父子や鳥羽法皇や後白河法皇はじめとした皇室の崇敬が篤かった。
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罹災と復興の連続。836年雷火による五重塔焼失以降、天災や兵火により伽藍は幾度も焼失の憂いき目に遭った。昭和9年の室戸台風被災後復興されたのもつかの間、昭和20年のB29爆撃機の空襲でほとんどの堂宇を失った。(古寺を巡るより)
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