2月6日、仕事で伊丹に出向いた。仕事場に向かう途中有岡城跡を訪ねた。南北朝時代から伊丹氏の居城として発展してきた。城下町をも城の中に取りこんだ「惣構」構造の兆しが見られ、その後の一向宗との合戦など、数々の戦いを経て強化されてきました。
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天正2年(1574年)、織田信長の武将、荒木村重が伊丹氏を破って入城し、「有岡城」と改名しました。しかし、天正6年、村重が信長に背いたため、大軍に包囲され、10ヶ月の攻防戦の末落城した。

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有岡城は伊丹段丘の高低差を利用し、南北6km・東西800mに及ぶ惣構が築かれ、要所には岸の砦・上﨟塚砦・鵯塚砦が配置された。天正8年池田之助が城主となるが、天正11年美濃の国に転封を命ぜられ廃城となった。
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明治36年、鉄道の開通によって城跡の東側が削り取られたが、土塁や濠など今もよくその姿をとどめている。
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昭和50年より発掘調査が実施され土塁や石垣・堀・建物・池等の構造を検出し中世城郭から近世城郭への移行期の様相が明らかになった。
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