今日、1月24日は父の満86歳の誕生日。大正13年生まれ。昭和13年2月28日、14歳で義勇開拓兵として満州に渡った、昭和16年秋、母親の死亡で葬儀に帰国した。その後、農作業で怪我をし、再び満州に渡ることは無かった。母の死がなかったらシベリアに抑留されて存亡が危ぶまれていただろう。母親が命に代えて助けたのかもしれない。
戦後、母と結婚し2男1女をもうけた。父と母、右隣は西浦さん(94歳)。父と同じく満州に出兵し帰還された戦士だ。自慢の能登本霧島などを育てながら余生を楽しんでおられます。奥様も86歳で、お元気で来訪者のご案内をされていました。
母は痩躯で父と棚田を耕し、炭焼きで現金収入を得ていた。父は農閑期には出稼ぎに全国各地へ出向いた。母も加賀地方へ稲刈りなどの出稼ぎに出た。しかし、小生が小学生の時に結核、狭心症を発病した。母も苦労したが、父も苦労した。中学3年の時、母が入院してからは特に苦労が増えたと思う。当時、実家には84歳の祖父と2人だけ残された。家の賄いは自分でやった。夜長、祖父と話し合ったことが懐かしく思い出される。
田舎は大概、家族総出で田畑の作業にあたる。小生の遊び場はもっぱら野山で犬
や子羊と戯れることであった。もの心がつく頃には作業を手伝っていた。母が入院し
てからは父は独りで田畑に出た。小生も登校前、登校後は朝星、夜星で手伝った。
休日はもちろん、高校の文化祭の時は休んで手伝った。授業以外の勉強はしなかったが、いい経験をさせて頂いたと思っている。
高校1年の年末、祖父が病院で亡くなった。84歳であった。実家の屋敷は代々綺麗に掃き清められている。今は、父が引き継いでいる。秋には夥しい枯葉が埋め尽くす。春にはシャガ、山吹、躑躅、能登キリシマが、夏には紫陽花、秋には紅葉、冬には南天はじめ山野草が彩りを魅せてくれる。父の世話のお陰だ。今頃は雪掻きや、屋根雪の始末に大わらわであろう。ご先祖様が生かして下さっているのだろう。感謝!!




