1月17日仁徳天王稜を訪ねた。丸三楼前の外堀、冬の陽射しを浴びて水面が煌いていた。この一帯の百舌鳥古墳群は、4世紀末頃から乳丘古墳が築造され、次に履中稜古墳・大塚山古墳
仁徳稜古墳・御廟山古墳・いたすけ古墳
反正稜古墳・ニサンザイ古墳の順に築かれたと考えられている。
百舌鳥古墳群で使われた埴輪を焼く窯の一つが御廟山古墳の南東・百舌鳥川左岸にある窯跡です。5世紀中ごろの操業と考えられ、今のところ百舌鳥古墳群内で発見されている唯一の埴輪窯です。
百舌鳥古墳群で使われた埴輪を焼く窯の一つが御廟山古墳の南東・百舌鳥川左岸にある窯跡です。5世紀中ごろの操業と考えられ、今のところ百舌鳥古墳群内で発見されている唯一の埴輪窯です。
しかし、百舌鳥古墳群で使われた多量の埴輪が本窯ですべて作られたものでないことも確かです。まだ発見されていない窯跡がたくさんあると思われています。



