17日、仁徳天皇陵の外堀を歩いていると、中間ほどに老舗の料亭があった。ガイドさんが、ここなかなかいい所ですよと薦められたので邸内に入った。玄関を入ると「丸三楼」の勇壮な筆遣いの扁額と竹林の障屏画が飛び込んできた。伝統と格式が漂っている。
創業は安政二年(1855年)堺大浜で創業とあるから、今年で155年の老舗だ。大正期には旧堺灯台下に、舞台つきの百畳大広間を備えた別館を開店し繁昌したようだ。その後、臨界工業地帯の開発で景観や風情が失われ、昭和45年、現在の仁徳稜西畔に移転した。
1階南側は庭園が観賞できる。
これは龍の一刀彫。一階の床の間に置かれていました。
何焼か分かりませんが値打ち物だと分かりました。
玄関に置かれていたバッカス。
待合室は和洋折衷様式。
昔の丸三楼。
戸毎に潮の温泉や活魚を料理して、美酒を撰び勉強し、海辺に引網投網別ちなく、朝昼夜の魚市と小舟の釣りや貝拾い、蛤取りも面白く、夏は暑さを凌ぐため遊客夥し、四百四病に験ある海水浴も便利なり、分けても暖和の時候には、懇親会や二人連れ、鬱を散ずに類なき絶景極まる勝地なり。
「細く深い道」・・・続けるということ。老舗というと、どうしても古いものへのこだわりを持ち続け過ぎて時代の進化・変化を無視しがちになりますが、老舗として何を残し何を変えていくかが、伝統を守る大事な要素であると思います。あくまで家業と捉え、地域社会への奉仕と共存がなければ老舗とは言えないのではないかと思っています。・・・安田松慶エッセイより
創業は安政二年(1855年)堺大浜で創業とあるから、今年で155年の老舗だ。大正期には旧堺灯台下に、舞台つきの百畳大広間を備えた別館を開店し繁昌したようだ。その後、臨界工業地帯の開発で景観や風情が失われ、昭和45年、現在の仁徳稜西畔に移転した。
雪陵庵命名の由来:古くから仁徳陵は、その杜に由来する白鷺の美しさを、雪のふり積る情景に見立てて「雪陵」と称されていたとの言い伝えから命名された。
この日も、白鷺が穏やかな陽光を浴びて遊水していました。
道路に面した入口
待合室に年季の入った面容が3面かけられている。
1階南側は庭園が観賞できる。
これは龍の一刀彫。一階の床の間に置かれていました。
何焼か分かりませんが値打ち物だと分かりました。
玄関に置かれていたバッカス。
待合室は和洋折衷様式。
昔の丸三楼。
明治25年、大浜公園を描いたイラスト。左端に堺灯台があり、海を挟んで、奥から
丸三楼、一力、丸万、川芳、八角万、芳海楼、芦海楼と並んでいる。
口上書きには、阪堺鉄道大阪難波停車場より堺停車場まで六マイルあまり30分で着す。此所より大浜公園まで八丁、堺大浜公園は茅渟の浦浦見晴らして、西には摩耶や六甲山、灘神戸の港地や、南に淡路や友ヶ島、北には大阪川口の出入りの船を眺望し、3階4階の割烹亭、軒を列ねて賑しふ。
戸毎に潮の温泉や活魚を料理して、美酒を撰び勉強し、海辺に引網投網別ちなく、朝昼夜の魚市と小舟の釣りや貝拾い、蛤取りも面白く、夏は暑さを凌ぐため遊客夥し、四百四病に験ある海水浴も便利なり、分けても暖和の時候には、懇親会や二人連れ、鬱を散ずに類なき絶景極まる勝地なり。
当店は、日本の老舗百店会に登録されたいる。3代以上または100年以上続き、世間の評判も良く、今も盛業中の集いだそうです。因みに大阪では8店で、料理屋さんでは当店のみ。他は練り羊羹の駿河屋、和菓子の鶴屋八幡、塩こんぶの小倉屋山本、すし萬、大寅、米忠味噌、山中大仏堂の7店。
「細く深い道」・・・続けるということ。老舗というと、どうしても古いものへのこだわりを持ち続け過ぎて時代の進化・変化を無視しがちになりますが、老舗として何を残し何を変えていくかが、伝統を守る大事な要素であると思います。あくまで家業と捉え、地域社会への奉仕と共存がなければ老舗とは言えないのではないかと思っています。・・・安田松慶エッセイより














