白崎西側付け根から大崎浜、岩倉山を望む。能登半島では数少ない砂丘地帯である。小学1年の時、初めての遠足がここだった。砂丘で滑り台をやったことが懐かしく思いだされる。
砂丘地帯は岩倉山の麓、曽々木海岸まで続いている。正面が岩倉山357m、左手奥の三角錐の山が水山405m。
子供の頃には船がかなり繋いであったが、今は少なくなっている。船を格納する苫屋は、今はほとんど見かけない。
岩倉山の北端は真浦岬。岩倉山の真裏方向に大谷峠があり、平時忠(建春門院滋子の異母兄)の墓がある。平時忠は清盛の死後は実質上の平家の指導者として君臨していたが、壇ノ浦の戦いに敗れた後は没落し、娘を義経に差し出した。色々と画策したが、能登に流罪となった。
砂丘地帯は岩倉山の麓、曽々木海岸まで続いている。正面が岩倉山357m、左手奥の三角錐の山が水山405m。
子供の頃には船がかなり繋いであったが、今は少なくなっている。船を格納する苫屋は、今はほとんど見かけない。
岩倉山の北端は真浦岬。岩倉山の真裏方向に大谷峠があり、平時忠(建春門院滋子の異母兄)の墓がある。平時忠は清盛の死後は実質上の平家の指導者として君臨していたが、壇ノ浦の戦いに敗れた後は没落し、娘を義経に差し出した。色々と画策したが、能登に流罪となった。



