今夏、大雪山の花畑を歩いた。そこには世阿弥が極めようとした幽玄の世界があった。人の心に花を咲かせる。花のある人生、あの人には花があるといわれる人。理屈や理論を超越した人が持つ称号だ。古今の芸術家は永遠の愛を形にしよう、形に遺したいと血眼になった。世阿弥もまたその一人であった。小生はどこまで辿り着けるのだろうか?

風姿花伝・・・五蘊皆空

序破急・・・故郷の御陣乗太鼓もこの3部構成だ。

花鏡・・・人が花を見る、花が人を見る。

至花道・・・大雪山の木道と花畑。

捨玉得花・・・無一物にならなければ花を得ることは出来ない。

路傍の花・・・地味であるが味わい深く心に沁み入るような花

世阿弥の花・・・人を面白いと感動させるものを花といった。花の美学は禅の思想で深められ、形なき姿へと向かう。求めたのは風の姿であった。

「花と、面白きと、珍しきと、これ三つは同じ心なり」

閑花風

寵深花風

妙花風

舞台に花が咲くように感じる。世阿弥にとって花は能の命でした。それが禅の無の思想で深められ、目に見えない風を重んじるようになる。花から風へ、です。形なき姿、形なきところ、それが風のイメージです。