8月16日金蔵「一粒のともし火・万灯会」会場の一つである慶願寺で「節談説教・広陵兼純師」の法話を聴いてきた。写真は開会30分前の会場の様子。始まる頃には満席となった。

開会に先立ち谷本知事が挨拶に立ち、「広陵師は北国文化賞を受賞するなど、全国的にも有名で、面白くて為になる話なので推薦した」と紹介。

要約:南無阿弥陀佛を唱え、六浄声明、生きていることは何かに頼っている。恃んでいる。何かに恃む。①わが身。2階にものを取りに行って上がった途端何しに上がって来たか忘れてしまう。また1階に下りるが、途中で思い出すことが大事。②親族。3つの子供がお母さんに何故生まれてきたの?と聞かれて、お母さんに会うために生まれてきたと答えた。お経は死んだ者の為にあるのではない。お釈迦様は人は一人で生まれてきて、一人で死ぬ、と。年をとると人の話を聞かなくなる。悲しいかな感動が無くなる。ドキドキ感が無くなる。男はオババだけが頼み。女はオジジが死んでも泣かない。純な心をもって感動感謝がなくなった。

新聞の投書で結婚5年の夫婦が喧嘩している。吾は善なり、他は悪なり。直すことが出来るのは自分が変わること。足を引っ張るものと、助ける人がいる。グミョウシチョウは夫の有難うを云った言葉。夫婦は2つの頭と1つの体。相手のことを敬い思うこと。喧嘩したら貧乏になる。人生が明るくなるのは愛情、反対は無関心。マザーテレサは人生は生きることより、死ぬことが大事、と。道で死に倒れた人を介護しながら、私は貴方に何もしてあげられない、涙を流すことしか出来ない、愛情を注ぐことしか出来ない、と。

山彦耀のブログ

死ぬ時に俺の人生は幸せだったと言える人生を終えることが出来るだろうか。人間には2つの手があるところが動物とは違うところ。人間は①命を考える。死ぬる事を考える。②言葉がある。相手を理解するため、自分を理解してもらう。③2つの手がある。手を貸す、手助けをする。足ですることは行動という。人の為に手を出す根性がない人が多い。小松まりこさんは小学6年間を車イスで通った。子どもたちが6年間送り迎えをした。(大人はしない)。中学校では教育委員会が設備のある学校に入れて下さいと。小学校の同級生が嘆願して同じ学校に行けるようにした。卒業式の日に風邪をひいて出席出来なかった。2階のベランダーに出てお礼を言いたいと申し出たら、小松まりこさんの部屋に学校長と同級生がやって来て、卒業式を行ってくれたそうだ。お母さんは9年間まりこが、人を幸せにすることを学んでくれたから十分だと言ったという。子どもは一人一人個性を持っている。クラスで40人中40番目の子供に、お前は39人を支えている、立派だと。通知簿を冷蔵庫に入れた。これ以上悪くならないから。私はどう生きるべきかを考えて頂きたい。

お経と声明を取り入れ、軽妙洒脱、面白くてリズム感のある法話でした。合掌