見敬山・慶願寺・真宗大谷派

もともと南志見東印内いにあったがやがて金蔵村内の我児坂(かござか)、九ノ田、池の坊と移って来て、金蔵真言7ケ寺の一つ池の坊と呼ばれていた。開基に慶順は富樫政親の子孫であると伝えられ、文明5年(1473年)、本願寺八世蓮如上人に帰依して浄土真宗に改宗し、加賀の国宮腰村仰西寺(こうさいじ)の触下となっている。大永7年(1527年)の兵火で寺院が全焼したため古い記録は残されていない。見敬山・慶願寺という寺号は、永禄10年(1567年)、第5代住職西了が本願寺11世顕如法主より賜ったものという。19石8升という金蔵最高の高持寺院として現在に至っている。御堂は、寛文10年(1670年)から3年がかりで造られたもので、大きさは8間に7間5尺1寸あり、棟梁は二又源善という工匠である。本堂切妻破風の飾り竜は作者不明であるが、その手法から柳田村石井の名工万松の作であろうと言われている。山門は建立年代や工匠などは分からないが御堂より以前に造られたものと考えられる。

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