50軒近くある蕎麦屋の中から選んだ店が「そば庄」。どちらかといえば街の外れにある店。先輩の勧めでこの店に行くことになった。100名グループの中の12名、他のメンバーは街の中心地へ。出石そばは、一応5皿を1人

前としているが、それは好きな量を無駄なく食べられるようにと、発達したものである。そば通と言われる人は、皿の上にねぎを乗せて直接だしをかけて食べました。


山彦耀のブログ

まず、一人あたり5皿のメニュを注文。卵ととろろとネギで食べる。小生が胴元になり2000円づつ24000円を徴収。ビールに蕎麦焼酎を注文し酒盛り。蕎麦は平均10皿、最高は13枚、小生は11枚。歯ごたえ色つや腰、タレともに満足のいく味だった。白地の小皿は出石焼、宝永3年(1706年)松平氏にかわり信州上田の仙石氏が国替えとなった際、信州から来たそば職人の技法がそば打ちの技術に加えられた。

山彦耀のブログ

果たして釣り銭が残るか、足し前を出さなければならないか?自分ではいい線かなあ~と思っていた、その通りで、これだけ堪能して2000円の追加で済んだ。


山彦耀のブログ

これは他の蕎麦屋の玄関に咲いていたテッセン。色々見てきたがこんなに綺麗なテッセンは初めて見る。赤い筋、白い花弁、思わずシャッターを切った。店の人に聞いたらテッセンという。う~そ!と思ったが店の奥さんが言うのだから間違いないのだろう。

山彦耀のブログ

昔、蕎麦は貧しい農民の最後の糧として伝えられてきました。蕎麦に由来する民話は全国に数多く、そのほとんどが農民の生活に深くかかわり合い、喜怒哀楽が蕎麦を通してあらわされています。「蕎麦は75日」といって、わずかの期間に収穫できる作物であり、どんな荒地にも、厳しい気候にも育ち、飢饉の時の代用食として常に農民を支えて来ました。蕎麦の茎の色が赤いのは血の色にたとえられ、三角の実は哀しみの涙にたとえられて来ました。現在に伝わる蕎麦の名所は、信州・盛岡・出雲とすべて山間の貧しい地にあり、その地の生活と深くかかわりながら伝えられて来ました。

山彦耀のブログ

出石には伝統工芸品も多くある。出石焼、杞柳製品、ちりめんなど。天日槍が材料である杞柳を植えたと伝えられている。昔は柳行李、現在は民芸品として人気を集めている。