<輪違屋>:揚屋に対して置屋。ここから揚屋に太夫が派遣される。10年程前まで営業しており、小生も何度か利用させて頂いた。近藤勇や伊藤博文の書が残されていた。招待した皆さんは、幽玄な世界に興じ大層感激されていた。

島原の 角屋の塵は なつかしや 元禄の塵 享保の塵・・・吉井勇

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江戸初期能筆をもって知られた小藤太夫、八千代太夫、薫太夫の3人、と色道大鏡は伝えている。
「いかでかは とりのなくらむ ひとしれず おもうこころは まだよふかきに」・・・八千代書(伊勢物語)

「千代かけて かわらぬものは まつむめの ちきりはたけの 世々末まて」・・・ひなち

おほろよに 花ちる春の
 ここちして 雪おもしろき つきのかけかな・・・桜木太夫(月前雪)

ひさかたの 雲の上より ゆるされし 君はいくらの千世しのぐらむ・・・藤原御陰

世々かけて波こさじとは 契るとも いさや心の 末のまつ山・・・大橋太夫

不夜庵の ありしはここら あたりかと 島原の夕べ ひとりさまよふ

百枝さす 老い木の松は 年ごとに 緑栄ふる 色ぞ久しき

庭の面に 立ち栄たる 松の君 まつにひかれて千代もかよわむ

太夫は源氏物語、古今和歌集、後撰和歌集、拾遺和歌集など古歌を学び自身の筆で贈答した。展示されていた書は見事であった。
「日新又日新」の額も
※太夫は従5位に叙せられていた。
※容姿端麗、歌舞音曲に優れ、女性としての品格を備えていた。
※御所の出入りも自由であった。
※二条家はじめ公家の皆さんとも歌舞音曲でお付き合いが出来た。
※高野山には島原太夫の慰霊塔がある。
※八千代太夫は書が上手で家元になった。
※太夫は単に美しいだけではなく、茶・花・詩歌・俳諧・舞踊・文学などあらゆる教養を身につけていた。歴史上は吉野太夫、八千代太夫が有名である。



<台所に掛けられている注連飾り>

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