<揚屋の定義>:あげやと訓ず。揚屋には娼妓を養わず、客至れば太夫を置屋より迎え饗する業とするなり。天神及び芸子幇間(たいこもち)も客の需に応じて迎之也。唯、鹿子位(かこい)以下の遊女を迎えず。

(中戸口)

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<角屋の家紋>:揚屋は現在の料亭にあたる。揚屋と置屋の分業制を「送り込み制」といい、現在祇園などの「お茶屋」と「屋形」の制度として伝えられています。これに対して吉原などの遊郭の店は自ら娼妓を抱えて歓楽のみの営業を行います。これを「居稼ぎ制」といいます。



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<蓮壺生春酒>:薩摩藩・馬渡豪毅書
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<網代の間>:1階表座敷
1階には大座敷松の間(奥座敷)。
2階(撮影一切禁止)には緞子(どんす)の間、翆簾(みす)の間、扇の間、草花の間、馬の間、青貝の間、桧垣の間。
非公開の間:孔雀の間、八景の間、梅の間、囲いの間等がある。


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<長谷川等雲「唐子の図」>
他の部屋には、岸良の「花車の図」、岸岱「前赤壁の図」、石田幽汀「金地花鳥の図」、山田峨山「四季の草花」、円山応挙「少年行の図」、岸駒「山水図」、蕪村「夕立山水図」、岸連山「桐に鳳凰の図」、岸良「布袋の図」等の名作が施されています。


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主庭:古山水の庭園で白砂に臥龍松。左手に根元が保護された古松がある。右手には曲木亭・清隠斎茶席などがあります。
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なぜ、島原を花街というのか?右矢印遊郭は宴会もしない歓楽のみの町。花街は歌や舞を伴う遊宴の町であり、歌舞練場がある。1589年、秀吉により許可された。


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4月25日編集中