天武天皇と持統天皇はご夫婦である。天武天皇は桜が咲いていたここに寺を建て、勅願時として桜本坊となづけた。大海人王子が吉野に逃れてきた時、吉夢を見た、役行者の高弟が「桜の花は花の中の王、王子が必ず皇位につかれる良い知らせである」と答えた。壬申の乱を経て王子は天武天皇となり予言が正夢となった。
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竹林院縁起・常楽山椿山寺竹林院住持籍によれば、開創は聖徳太子である。太子が黒毛の駒にまたがり、吉野山に来られ、天下国家の護持にそなえ、椿山寺と称する一宇を建立したのが始まり。弘法大師が大峰を東密の道場と定めた。源頼朝が義経追討の書を当院に送ったとも伝えられている。後小松天皇の勅を蒙り竹林院と名を改める。昭和天皇はじめ代々の天皇がお泊りになられている。
この庭園は群芳園といい、太閤秀吉が観桜の際千利休が築造し細川幽斎が改修したもので桃山中期の名園として大和三庭園の一つと言われている。大峯山の様子を表している。この池は弘法大師水垢離の池と伝えられている。辺には与謝野鉄幹・晶子の歌碑がある。
三吉野の竹林院の静かなり 花なき後ここに在らばや・・・鉄幹
山の鳥竹林院の林泉を 楽しむ朝となりにけるかな・・・晶子
吉野は戦禍にまみえたが歌の宝庫でもある。しかし、鴛鴦の歌は少ない。羨ましいではないかいな。
吉野を代表する「天人の桜」。すでに葉桜となり幹と枝ぶりから、満開の花を想像する。本居宣長は、ここで「花とのみ思いいりぬるよしの山 四方の眺めもたぐひやはある」と詠んでいる。
庭園中腹からの竹林院の眺め、頂上からの展望は模範的な四周借景園である。
可憐で清楚なシャクナゲが見事な花を咲かせていた。花は誰でも愛でることが出来る、花もまた平等に微笑みかけてくる。
お堂の左手に西行法師笈を留めむ記念の句碑が「吉野山こぞのしおりの道かへて まだ見ぬかたの花をたずねむ」
4月18日午後4時20分頃に到着す。






