<吉野朝跡>
ここが南朝(吉野朝廷)の皇居跡で、元は実城寺という寺でした。この付近には大小20にも及ぶ寺院がありましたが、その中でも最も広い実城寺が行宮(仮の宮)とされ、当時の足利幕府と北朝に対抗する南朝方の拠点として、後醍醐天皇の御座所となっていました。
延元元年(1336年)12月21日、京都の花山院をひそかにのがれた天皇は28日、吉水院からここへ移られ、寺号を金輪王寺と改めた。天皇はひたすら京都回復策を施されましたが、延元4年(1339年)8月に病に侵されて、御年52歳で悲運の生涯を閉じられた。
徳川時代になると幕府は金輪王寺の寺号を没収して日光に移し、元の実城寺となって明治を迎えましたが、廃仏の嵐にあって廃寺となった。
4月 18日正午・午後2時
