百ヶ辻登山口。雪を期待して出かけたがご覧のとおり全く雪はない。準備体操をしてさあ、出発だ。初めての寺谷コース歩く。05.2月以降、念仏坂~文殊尾~山頂は森林保護のため通行禁止とネット上であったが、早朝登山者が次から次へと下山してくる。地元の登山愛好家の方々だろう。急峻な坂道を1時間あまり登ると文殊尾に着いた。杉林も手入れが行き届いていて、木立の間から木漏れ日が入り込んでいる。
ロープウェイバス停(650m)
寺谷道
文殊岩屋:寺谷道を登りつめると大岩がある。智慧が授かる経塚と言われるだけに合格祈願のお札が沢山納められていた。カメラの操作ミスで写真は滅失したので張り付けられなく残念だ。
転法輪寺:役の行者ゆかりの古刹。修験道の霊場として信仰が厚い。7月7日に行われるれんげ祭りは、葛木神社との神仏習合の大祭で、大護摩が焚かれる。次は樹齢350年の枝垂れ桜を見に来よう。
金剛山上(1125m):金剛山の由来は、転法輪寺の山号からとったと言われている。登山者は富士山に次いでおおいとか。金剛桜(5月上旬)も是非見てみたい⇒薄緑色の花を咲かせるという。
葛木神社:祭神は葛木一言主、楠正成、後醍醐天皇。境内は千古の杉に囲まれ厳かな雰囲気が漂っている。・・・最近3回登山機会に恵まれて、ブログにもすでに紹介済みなので写真は割愛する。※一言の願いを叶える”一言主”雄略天皇が山へ狩りに行き、同じ姿をした行列に遭遇、天皇が相手の名を尋ねると、「吾は悪事も一言、善事も一言、言い放つ神、一言主大神」と答えた、という。
伏見峠(980m)にあるダイトレモニュメントで恒例の足固めを行う。参加者の都合で前日と2日に分かれたため本日の参加者は3名、
久留野峠(900m):峠らしい峠と言われている。急峻な階段が続きアップダウンもある。中葛木山(950m)大峰方面の絶好の展望ポイント。ここで3人で記念撮影。
久留野峠から五條市を望む。この頃から空が暗くなりだす。
千早峠を下り五條市のはずれの住宅地まで下り、タクシーで高天彦神社へ向かう。30分ほど見学して近鉄御所駅へ。タクシー代は5700円。
高天彦神社駐車場前に鶯宿梅(おうしゅくばい)がある。755年鑑真が渡来し、勅命によって高天寺に住職として赴任していた時に弟子を亡くし悲しんでいると、鶯がこの梅の木に飛んできて「初春の朝毎には来れども会わでぞ帰る元の住みかに」と歌を詠んで慰めた、と言われている。まだ花びらがちらほら、次回、3月7日ダイトレの頃には満開かな?
現在の鶯宿梅(2代目)は300年前に倒れたが、朽ちた株の跡に後継ぎの梅を植えた。今も高天は鶯の名所として名高い。
縁は現世も来世も・・・。多分、鶯宿梅は歴史から推測して数代目ではないかと思われる。そうだとすれば50世代以上の人たちが見てきた梅木ということになる。
ここで小唄を一句。♬梅一輪、一輪づつに鶯の、唄い初め候、春の景色もととのうままに、実は逢いたくなったのさ♬
山門山道にはご覧とおり樹齢数百年の老杉が茂っている。
高天神社:高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)が御祭神。菅原道真併祀している。神体は社殿の後方に聳える白雲峯(694m)、別名を高天山という。神話に出てくる高天原はこの台地だと言われている。御祭神を祖神とした葛城族は大和朝廷に先行する葛城王朝を築き滅びた後も平群、巨勢、蘇我の豪族として栄えた。延喜の制では、名神大社に列し、月次、相嘗、新嘗には官弊を預かってきた神社である。
現在の社殿は明治10年の建築(神明造り)
社殿は写真で見るより厳かで崇高なものであった。
葛城の高天の草野はや知りて 標刺(しめさ)さましを今ぞ悔しき
幸せを呼ぶ福蛙石。幸せを願い手でさわると叶えられるといわれている。
※十津川郷氏と天誅組=尊王志士の注目をひき、吉田松陰や梅田雲浜らが森田節斎を頼っている。天誅組の中心的リーダーであった中村寅太郎は戦死しているが、息を引き取る時「しんぼうせよ、しんぼうしたら世は変わる。それを楽しめ」と笑ったという。





