★葛西紀明41歳、レジェンドが「伝説」になった日 スキージャンプ個人ラージヒル | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。


レジェンド、悲運のジャンパーと言われてきた葛西紀明が、ほんとうに“伝説”になった。


その報を聞いたのは朝7時半過ぎ、東京に出掛ける家内を駅に送るときだった。
「葛西、銀だったみたいね」
「ほんとうか? やったな。でも、本当に……?」


昨夜、日が変わらぬうちに床に就いたのは
<メダルの確率は低いだろう>と思っていたからだ。
この頃のメディアの大騒ぎがやかましかった。
結果が出る前に先回りしてドラマを、なぜ創る?
葛西が“犠牲者”にならなければいいが、と思っていた。


妻がiPhoneで動画を見せてくれる。
いつもは運転にやかましい彼女も、興奮しているのだ。
1回目のジャンプらしかった。
ヒルサイズに迫る139m!
「トップに躍り出た」と。


                 <写真はインターネット版「毎日新聞」>

葛西の苦闘は、いやというほど伝えられている。
何度も写されるのは1998年の長野冬季五輪だ。
ジャンプ団体の優勝に日本中が沸き返った。
原田雅彦が1回目、失速するなど波乱万丈、
ハラハラさせて最後は大ジャンプ。
勝った、そして泣いた。
いま思い出してもこみ上げてくる。


その歓喜の輪の中に葛西はいない。
前年末の左足首捻挫で、ラージヒル、団体戦を外された。
しかし彼はノーマルヒルでは意地の7位入賞を果たしている。
泣きながら帰ったそうだ、会場からホテルに帰るまで。


力はあったのに、ステージさえ与えられなかった、
その号泣がここまで葛西を連れてきた、
「オリンピックでの勝利」にこだわり続けさせた……。
と、テレビドキュメンタリーはそのようにシナリオを書く。


当たってはいるかもしれない。
葛西自身、それを肯定するような発言をする。
でも本当は、もっと奥深い口惜しさであるような気がする。
オリンピックでの彼の戦績を上げる。


1992年 アルベールビル(19歳) 31位   26位  4位入賞
1994年 リレハンメル(21歳)  5位入賞 -    銀メダル
1998年 長野(25歳)      7位入賞 -    -
2002年 ソルトレイク(29歳)  49位   41位   -
2006年 トリノ(33歳)     20位   12位   6位入賞
2010年 バンクーバー(37歳)  17位    8位入賞 5位入賞
※個人ノーマルヒル、同ラージヒル、団体の順(ウィキペディアによる)


パッとしない。
ワールドカップ、世界選手権で何度も優勝している。
10歳でスキージャンプを始め、
中学3年では宮様スキー大会でテストジャンパーに選ばれ、
大人の優勝者を上回る距離を飛んで見せた。
天才である。
努力もしてきた。
しかしオリンピックでは結果を残せない。
葛西は、誇りを傷つけられているのだ。


けがに泣き、所属するクラブも次々廃部。
それでもジャンプをあきらめない。
同世代の原田雅彦はとうにコーチに転じた。
41歳と言えば、夢を追うような年代ではない。


だから人は彼のことを“レジェンド”と言う。
もちろんリスペクトはあるだろう、
しかし同時に『いい歳をして』という
揶揄(やゆ)する感情も少しは混じっている。
空気を読む男ならとっくに引退していた。


しかし間近で視る者の目は違うのではないか。
レジェンドなどと言うはずがない。
彼は、目の前に屹立(きつりつ)している。
ライバルであり、巨大な壁だ。


今シーズン、葛西紀明はW杯で10年ぶりに優勝した。
なんという長い歳月だろう。
葛西は、まだ居た!
一度は崩れかけた壁を建て直し、頑健になって戻ってきた。
なんという努力であっただろう。


騒ぎ立てるメディアに葛西は眉をひそめない。
後れてきた脚光を楽しんでいるようにさえ見える。
冬季、夏季含め最年長の選手団長をも引き受けた。
自らの言動で、自分を追い込んでいるように見える。


そして、ソチ。
ノーマルヒルは8位に沈んだ。
だから僕は目を覆った。
「初代女王」「本命」「金メダル候補一番手」
と騒がれた高梨沙羅とダブって見えた。


妻を駅まで送り帰宅して、安心してテレビをつけた。
生で観ていたら声を出したに違いない。
1回目、2位。
スキー板に届くほどの前傾姿勢、
10本の指をピンと開き風を全身で受け止める。
動かない、そして美しい!


2回目、アナウンサーは何度も
「金メダルへ向けて」と叫ぶ。
緊張の極にあるはずだ。
人生をかけたジャンプ、
自分を証明するジャンプ。


飛んだ!
今度も失敗しなかった。
持てるテクニックをすべて使い風に乗る。
完ぺきだった。
結果は超僅差の2位ではあったものの。


葛西は笑っていた。
安堵と誇りと満足と、
「ちょっと残念」を混ぜこぜにして。
そしてインタビューの最後にこう言うのである。
「まだまだ。金メダルという目標ができましたから……」


葛西の挑戦にまだ続編がある?!
どうか“中年の星”などと呼ばないでほしい。
満たされぬ思いは、長野後の16年とは違うはずだ。
今度は、今度こそは年齢との駆け引きを楽しめるのではないか。


筋力は衰える、しかし技術にはなお伸びシロがある。
テクニックによって人はどこまで飛べるのか。
自分ではなく“神”への挑戦、ということになる。


底の浅いキャッチフレーズなど、無用であろう。


(ジャーナリスト 石川秀樹)



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