★「情報」って、なんだと思う? 電本館あるじの10分プレゼン | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

きのう静岡市内のホテルで異業種のビジネスマッチングがあった。
私が塾生として参加している経営塾の塾生有志が企画した。
それで「電本館」あるじたる私も電本(電子書籍)についてプロモートすることになった。


時間は10分から15分。
短時間で会社や電本のPRはしきれるものではない。
それに何より、もっと話したいことがあった。
それで冒頭、あらぬ方向から話を始めた。


「私の使命は<日本人の情報リテラシーを高める>ということです」
会場に居並ぶゲストや塾生たちがキョトンとした顔で見ている。
『まずかった?! やっぱ、やめとけばよかったか……』
胸がドキドキ、顔が火照って来る。
『ままよ、言ってしまえ!』


「私が言いたいのは、情報には対価を払おう、ということです」
(念のため言っておくと、ゲストは3000円の会費を払っている)
「対価」つまり「お金を払え」と受け止められると、さもしい話になる。
微妙な空気……。
「情報は情(なさけ)に報(むくいる)から情報なんです」
(心の中で『ちゃんと報いていますか?』と問い掛け)


そこで3つの話をした。
1つ目、経済部記者時代の話。
初めての分野であり情報集めをしている時、実のある情報は集まらなかった。
意を決して、静岡の地場産業の社長さんたちを訪ね回った。
はじめはお願い申して会社の近況を聴いた。
ささいな話でも必ず1本の記事にした。
書けば感謝される(パブリシティになるから)。
記事にすることは話してくれたことへの、ささやかな対価。
(私は記事を書くという“特権”と、手間暇を提供した)


何社も取材するうちにいろいろな情報が聴けた。
書けない話もある(そういう話は重要だ)。
情報が広く深くなる、しかもトップから聴く話だ。
すると取材先の対応が変わって来る。
業界というのはそれほど仲の良いものではない。
他社の状況を知っている私こそ“情報持ち”ということになった。
差し支えない範囲を計算しながら提供できるものは提供する。
情報持ちには情報が集まる。
この場合、対価は「情報」である。



2番目に話したのは「無料セミナー」のこと。
おかげさまで最近は時折「Facebookのことを話してほしい」と招かれる。
無料のセミナーが多い(私には講師料を払ってくれる。お客様が無料だ)。
正直いってそういう講習会、あまり好きではない。
なぜなら、お客さんの反応が薄いからだ。


お客さんは何の対価も払っていない。
(義理で聴くならその場に居てもらわない方がいいくらい)
「情報はなんのために必要ですか?」
「行動を起こすためですよ!」
時間がないので自分で答えをいってしまった。


話し手としては当然、聴いて腑に落ちたことは実践してもらいたいと思う。
聞いて終わりにされたら空しい。
熱っぽく話すことを目の色を変えて聴き、「早速やってみます」と喜んで帰ってくれたら、講師料なんてただでもいいと思う(本気で)。
しかし無料の講習会のあとは
『どこまで届いたんだか』と、こっちの元気がなくなってくる。
この場合は「身銭を切る」ことが対価。


3つ目。
「リアルが大事」といわれることについて。
ソーシャルメディアをかじっていれば必ず言われる話。
私もおおむね否定しないが、大納得というわけでもない。
オフ会、飲み会、異業種交流会……。
飲んで、話して、名刺交換をして、それで充実ですか?
はっきりいってそんな名刺、何枚あっても役に立たない。


おカネを払い(会費)手間暇(そこに行く)も掛けている。
それが対価ですか?
とんでもない、そんな勘違いは今すぐ捨ててほしい。
あなたも、私も、ほしいのは名刺じゃないでしょう?


昔の商人なら「お近づきの印に」と言えば、何かを購入した。
そう、お客様になるんですよ。
関係を深めたければ2度、3度と足を運ぶ。
(「手間暇」という対価)
しかし相手は仕事を抱えている、忙しい。
相手の時間を盗むわけにいかない。
だから“お客様”になるんだよ。
(正真正銘「お金」という対価)


こういう話、卑しいと思うかい?
僕はちっともそんな風には思わない。
先日、伊勢神宮にお参りしてきたんだけど、お賽銭にはケチケチした。
神様は式年遷宮で(参拝客急増で)大いに元を取っただろうから。
(それに元々、神様に敬意は表すが頼みにするのは自分だと思っている)
代わりに伊勢のまちで無駄遣いをいっぱいした。
地方のまちが少しでも潤ってほしいから。


僕の「対価」の払い方はこのように不合理である。
でも本当は一貫している。
東京ではなく、地方が栄えてほしい。
大企業、有名人でなく、ふつうの人たちに光が当たってほしい、という思い。


■    □
10分プレゼンの前振りになぜこんな話をしたか。
電本館あるじの僕にはちゃんと下心があったんだ。
「著者になったら何が一番うれしいと思う?
それはね、買って読んで、感想をくれることだ」
(これは多くの著者の願いだと思う。ウソ偽りなく)


わずかな金額で著者に感謝される。
顔と名前を覚えてもらいおつきあいが始まる。
(ベストセラーの著者は別だよ)
名前の出る前、あるいは実力証明のため初めて本を書いたような人、
こういう人たちを勇気づけるのは著書の購入だ。


そういうことにつなげたかったんだけど、僕のもくろみは失敗した。
あまり心に響かなかったみたい。
きっとほかのことに関心があったんだろう。
がっかりだ、本当に……。
でも商売は「あきない」だ。
まだまだ修行が足りない。
もっと説得力が出てくるまで、あきずに語り続けようと思う。



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【筆者から】
いつも長いブログをお読みいただいて恐縮です。

ブログはジャーナリストとしての私の「発想創庫」。
というより「リセット地点」というべきでしょうか。
政治、社会事象全般、ソーシャルメディア、そして電本(電子書籍)のこと、
いろいろ書きますが、書くたびに頭を整理してまた「出発」です。
そういう意味でのリセット地点。

ツイッター、Facebookを下書きにして「完成したもの」をこのブログに収めています。
ブログは私にとっては“旗艦(フラグシップ)”になりつつあります。
自由に書き込みしにくいWebページは今後も持たないんだろうと思います。

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