先ほど、ほんとうに久しぶりにツイッターで連続ツイートを行った。
今年は一からセルフブランディングをやり直そうと決心し、その第一弾である。
最近はFacebook一辺倒になっていた。
正直いって、過大な期待を掛けすぎていた。
Facebookは今なお最も好きなソーシャルメディアであり、そのほれ込みぶりは(たぶん)人後に落ちないと思うが、自分の事業にとって“最も使えるツール”かというと、少し疑問を感じてきてもいるのだ。
「信頼関係を創るツールだ」と自ら散々いってきたのだが、Facebookで出来たと思い込んでいた人間関係が案外薄っぺらで頼りにならない、ということを最近、痛感してもいる。
実名であれ匿名であれ、しょせんはバーチャルな関係。
事業の頼みにはならない、と思い始めている。
連ツイでは、そんな最近の思いがにじみ出ていると思う。
書きなぐっているので支離滅裂気味だが、その分、生の自分に近い。
★ツイッターで連ツイを始めた「匿名で辛辣、実名で紳士を嗤(わら)う」
なるほど、タグ付けすると連ツイも読みやすくなる。これは使えるね。
(※ツイートの末尾に #フェイスブック #電本館 #連ツイ秀樹 というタグを埋め込んだことを指している)
ツイッターもしばらくご無沙汰していた。ほとんどブログやFacebookページへの誘導のために使っていて、ツイッターには失礼、かつ申し訳ないことをした。
何が「失礼」かって? ソーシャルメディア活用にはそれぞれユーザーのクセがある。クセというより「好み」かな。ツイッター好きはやはりツイッターが主。道具に使われては気分がよくないね。
僕も以前はツイッターが大好きだった。「自由」で「闊達」だ。フォローもし放題。それに第一、ツイッターはすべてのフォロワーに確実に届く。これは「公平」で「作為」がない。
「匿名でもOK」というのもツイッターの利点だろう。Facebookは実名制。キュークツに感じる人が少なくない。というより、話せなくなってしまう。自由も闊達も、自ら縛ってしまう。
Facebookがキュークツなのは、日本人が実名で情報発信することに慣れていない、ということが大きい。では慣れれば闊達に話すようになるか。無理だろう。
今の日本は「気兼ね社会」というより「いびつな社会」なのだと思う。「会社」が強くなりすぎた。地縁・血縁が薄れ人がさらされるのは学校と会社という縁である。そこから脱落すれば明日がない。
どんな組織でも小ボスは生まれる。その取り巻きも。こいつらのたちの悪さは説明するのも不愉快だが、集団内にいる者はこいつらからの“いじめ”に怯えなければならない。
リアルな現実がそのようなら、せめてネットの世界では自由にのびのび語ろうぜ、と思うが、実名主義が重い足かせとなる。だから『めったなことは言えない』と委縮する。
Facebookのつまらなさはその辺から来ている。もちろん以上は一般論で、現実的にはFacebookも多士済済、すごい人たちがいるが、全体的にはきわめてお行儀がよいのである。
おもしろいのは、同じ人がFacebookとグーグル+では「人が変わったか」というほど“人格”を捨てて人への悪口雑言、罵詈讒言に陶酔してたりすることだ。そんなに人変わりするならFacebookなどやらぬのがいいのに。
匿名のソーシャルメディアになると人変わりするという以上の例は「特殊」だと思いたい。しかし多かれ少なかれ実名で話すときと匿名で話すときでは、人は変わるようである。
これを「人の2面性」と言えばたいそうなことのように感じるが、人は2面どころか多重な面をもっていて当たり前である。自分が「生き残る」ために必要な使い分けなのだろう。
人は生き残るためには何にでもなる。これを「卑怯だ」といっても始まらない。むしろそういう人たちを相手に僕らはツイートし、Facebookで語っていると自覚すべきなのだ。
「人の多面性」は他人事ではない。僕自身の中にもある。あるのに好き勝手を書けるのは、キーボードに向かっている時にはウソを書かないと決めているからだ。だから「実名」を自分に課している。
ウソをつかないからと言って、正義の人や善意な人なわけではない。欠点は自覚して、そこは書かないというだけのことである。
ソーシャルメディアは皆さんあまり気づいていないが、天下に向かってしゃべっているのと同じだ。会話は消えるがメディアに書いたものは消せない。空恐ろしいことをしている。
もう一言付け加えれば、匿名で書いていても実は書いたことは特定可能だ。その気になれば。震災被災者担当でありながら不埒な発言をSNSに書き込んだ者が特定され、処罰されたではないか。
だから本当を言えば、実名も匿名も大した区別はない。「天下に向かってしゃべっている」ことが重要だ。たいていそういう覚悟なしで書いているはずだ。
人前に自分をさらしているのに、ツイッターでは自由奔放、Facebookでは折り目正しくという人の変節ぶりが、僕にはとても奇妙に思える。
繰り返し強調しておきたい。僕らは皆「マイクの前に立つアナウンサー」と同じだ。普通の人がこういう状況を手にしたのは有史以来初! すごいことを経験している。
ふつうの人がメディアになる。素晴らしいじゃないか。だからこそ僕はこれを大事に使いたいと思っている。
ふつうの人が毎日毎日マイクの前に立って話していれば、自然に人柄が人々に伝わる。これはツイッターもFacebookも同じだ。
相手に人柄が伝わるということは、武器にもなるし、リスクにもなる。しかも初めての経験だ。やはり自分によい結果が返ってくるように僕はこれを使いたい。
さしあたり僕はやせても枯れても「ジャーナリスト」である。そして61歳で行政書士資格を取り、62歳で出版社を開業、63歳で「電本館あるじ」となった新参者である。
「挑戦者」と言うと格好良すぎるので新参者といったが、僕はこれから名を成したいと思っている。なぜ「名」が必要かといえばブランディングのためだ。
なぜブランディングかと言えば、事業の成功に知名度を有することが死活の問題となるからだ。ソーシャルメディアの時代が到来していなければ、僕は挑戦しようなどと思わなかっただろう。
ソーシャルメディアの時代はスモールビジネスにとっては1つのチャンスだ。しかし真のチャンスに変えるには相当な粘り強さとマーケティングの技術が不可欠だ。
スモールビジネスがソーシャルメディアを通じてそれなりに知られた存在となれるかどうか、やりがいのあるテーマだ。
自分の挑戦には意味があると思っている。いくつになっても新しくスタートを切れること、少なくともその証明にはなる。そしてもう1つ……。
まだ成功している人が少ない「Facebookのビジネス活用」のための実践例として。手の内はすべて公開する。ソーシャルメディアで自分や店や会社に活力を呼び込もう。
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【筆者から】
このブログの元になっているのはFacebookへの書き込みです。
主にFacebookページ「ジャーナリスト 石川秀樹」に投稿しています。
ミーツ出版(株)という小さな出版社の社長をしています。61歳で行政書士の資格を取り開業しました。さらにこの数年は「ソーシャルメディアを愛する者」としてFacebookで熱く語り続けています。ブログは私の発言のごく一部です。ぜひFacebookページもご覧ください。コメントをいただけたら、こんなにうれしいことはありません。