★“長旅”お疲れ様……「マコ」にねぎらわれてわかった自分の思い | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

わが

きのう、2年がかりで書き進めていた本を電本(電子書籍)として正式リリースした。
それをこれからどうして売ろうかと、そんなことで頭がいっぱいだった。
何しろ“無名の一個人”である。
出版社も知名度ゼロ、地方で立ち上げ実績もなし。
それがいきなり電子書籍のポータルサイトを創って著者を発掘、世に出すお手伝いをしようというのである。


著書はそんなわけで自作自演、自ら“最初の著者”に名乗りを上げようというものだった。
テーマはこのところはまっている「Facebook」について。
全国を飛び回り“旬な使い手たち”にインタビューを重ねた。


そのお一人である河野實さんから思いがけずメッセージをいただいた。
きのう電本のリリースのことをお知らせし、その返信だった。


石川さん、こんにちは。
ご丁寧なご案内ありがとうございます。
”長旅”お疲れ様でした。
複数のテーマごとに、取材対象を定めて交渉し、取材しても終わりなき旅は続いたでしょう。
本当にお疲れ様でした。
会社であれば、取材アポイントも、原稿打ちも、校正も、秘書やアシスタントに依頼できるのですが、一人では大変でしたでしょう。
何はともあれひとつのことを仕上げて、世の中に問いかけられたのですから、おめでとうございます。
また、お疲れ様でした。
十分英気を養って、また次のテーマに挑戦してください。
河野 實


これを読みながら、こみ上げる思いを抑えることができなかった。
人の一文に涙したことはこれまでなかった。


河野さんとの出会いは話せば長いことになる。
河野實さんは昭和30年代後半の大ベストセラー、160万部を売り上げた『愛と死をみつめて』著者、ミコとマコの「マコ」である。


Facebookで市井の人として書いていた河野さんをあるきっかけで知り、取材を申し込んで東京で会うことになった。
ところが私は大遅刻。それから2時間半、河野さんから話を伺った。大いに河野さんの時間を奪ったわけだが、お礼状1つ書かなかった。


翌日、非礼を激しく叱られた。
人間性を疑われたのだった。
ガッツンと来たが、言い訳はしないと決めた。
ただ、取材したくなった思いだけは伝えた。
「マコ」としてではなく、経済誌記者となって世界を駆け回り、独立してさらに足跡を伸ばし、70過ぎて引退しながらFacebookに出合い、また烈々とした青春を送り始めた河野さんという人を取材したかったのだ、と。


その後いくつかのやり取りがあった中、原稿だけは書いた。
が、掲載は無理だろうと机の中にしまった。
1年後、脱稿が近づいてきた。
(河野さんは新聞記事をきっかけに「マコ」であることを明らかにしていた)
やはり河野さんを欠く本は「苛(か)の抜けたビール」のような味わいだった。
それで意を決し、あらためて原稿を送った。
お叱りを受けるかと覚悟していたが、河野さんからいきなり電話が入った。
訂正個所の確認だった。


『認めてもらえたんだ……』


電本の原稿は7月のアタマにはできていた。
しかし、不安。
娘に読ませ感想を聞いた。「まったくわからない」と。
それで全編、書き直した。
信頼する友にも見せた。いくつか指摘を受け、ここでもまた大改造した。


「エイッ、ヤー」で、さっさと世に問えばよかったのかもしれない。
できなかったのは自信がなかったからだ。
それで時間稼ぎしてしまった。
なにしろ一大事業だ。
頂点から転げ落ちサラリーマン人生を下りながら終わりかけ、アイデンティティーを求めて行政書士資格を取り、退社してすぐに出版社を立ち上げた。それから1年、にわかに電本事業に乗り出し、本の執筆に時間を掛けた。
強い成功願望があった。


『もうひとつの山に登るんだ』と。


プレッシャーがかかっていた。
顔には出さないが、まなじり決するような“青白い炎”が自分の中で燃えていた。
成功せずんばやまず………、空振りすることを恐れていた。
だから河野さんの思いがけない優しい言葉に、何かが反応した。


その日、散歩に出た。
思い出すとまた涙が込み上げてくる。
法律の勉強をしている時期のことを思い出した。
その時も、カーラジオから流れてくるゆずの『栄光の架橋』に涙したのだった。


何度も何度もあきらめかけた夢の途中
いくつもの日々を越えて 辿り着いた今がある
……………
もう駄目だと全てが嫌になって
逃げ出そうとした時も
想い出せばこうしてたくさんの
支えの中で歩いて来た


今も「電本館」の成功を夢見ている。
自分の著書が世に知られることを願っている。
でも、その思いはきのうの前ほど“思い詰めた”ものではなくなっている。
厳しい師匠に認めてもらったことで、肩の荷はだいぶ軽くなったようなのだ。


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