★浜岡原発県民投票 汲むべき民意を踏みにじる静岡県議会 | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。

◎原発県民投票の条例案、県議会総務委で全員一致の否決

『やっぱりね』静岡県民の多くが思ったのではないか。
端(はな)から期待はしていなかった、だから衝撃は受けない―と、まあ、強がりを言ってはみるのだが、「こんなにわかりきった民意を、どうしてお前ら、邪魔するんだ!」という痛憤の思いは残る。
県民の大多数は、原発の顔を見るのも厭(いや)なのだ。
「万が一があったじゃないか」と思っている。
その人災と、東電、政治、行政の不手際、不作為によって何十万人が故郷を失ったのか。
「そんな愚策を、ここ静岡で、お前ら、県民に押しつけるのかよ」と言いたいのだ。


無論、感情論である。
わからずやの県議諸君、君らへの悪口雑言だ。
だが上記、ほんとうに「感情論」と言えるのか。
では、君らの反対はなんだ。それこそ「感情」に突き動かされていないか?
『ゲ・ン・パ・ツ・ハ・ン・タ・イ! がイヤなんだよ!!』
わけのわからん奴らが動き回って、騒ぎ立てる。磐田市長をやったスズキ・ノゾムまでがお先棒を担いでハシャイデル………。
うるさくてたまらないだろう。
『俺たちゃ、県民の負託を受けてんだ。好いも悪いも俺らが政策を決める』などと正当化して言い訳しているが、心の中は選挙の損得勘定だ。支持母体の機嫌を損ねたら、就職(当選)おぼつかないもんな。


◎あざとい自民党の「反対」理由

政権返り咲きが近い自民党は、さすがに地方議員も老練だ。
反対理由 「条例案の大幅修正は原案の趣旨に反する」
ハァー??!!
マッタク意味不明なことを言ってくれる。意味はこうだ。原案、もとより反対(県民投票なんぞ、やらしてなるものか)! 修正案、これも反対(16万県民の意図に反する。本音:どっちみち「No」なんだよ!)
ベテラン議員が多いだけに、すり替え言語が実に巧みだ。
こう言うのを、日本語では詭弁を弄する(キベンヲロウスル)と言う。

◎「総括原価方式」という国民への迷惑転嫁方式
電力は今も昔も「国策」だ。
原発推進が脱原発に変わっても、シンジケートに連なる者たちの利権は揺るぎもしない(残念だけど)。なぜか。「総括原価方式」は変わらないからだ。
総括原価方式:発電・送電・電力販売にかかわるすべての費用を「総括原価」としてコストに反映させ、さらにその上に一定の報酬率を上乗せした金額が、電気の販売収入に等しくなるように電気料金を決める。つまり、コストが掛かれば掛かるほどもうかる仕組み。コストを削減する誘因が全く働かない!(根拠法令は「電気事業法第19条2項1号」である)
今や、悪法と言っていい。
しかし民主党も自民党も、「この法律を変えろ」とは一言も発しない。


◎急な政策転換が“迷惑”なだけ

だから本当は、電力会社もそれに連なるシンジケートも、脱原発にかじを切り替えても痛くもかゆくもないはずだ。
ただ、急な方向転換をすると波風が立って危険だ。
せっかくカネで釣って原発を立地させた地域の住民や自治体が騒ぎ立てる。
コスト高になれば、消費者はともかく、一緒に丸めこんできた経済界から非難の声が上がる。そいつはカ・ン・ベ・ン願いたい……。
すべて電力会社側の都合。国民など視野に入っていない。
その国民(県民)の側から「選択権を取り戻せ」の声が上がる。
目の前に蚊(カ)がブンブン飛んでいるようで、うるさくて仕様がない。


◎長い間の“神話”刷り込み戦略がまだ生きている

だからつぶしにかかるわけだが、地方議会が易々とその術中にハマるのが何とも解せない。
まさかこの時代に、電力会社からカネが議員にまかれている訳ではあるまい。
電力労組の動員力が怖い? それも一部の議員たちだろう。
やはり長い年月をかけ「原発=クリーン=安い電力供給=経済の繁栄=雇用創出効果」といった国(自民党政権)、電力会社、官僚、学者、新聞・テレビ、立地自治体の総力を挙げた“神話”キャンペーンの刷り込みの結果ではないか。


◎県議の中にも問題意識を持つ人が出てきた

議員に対して悪口ばかり書いてきたが、ここへ来て、“神話体制”に対して真剣に疑問を呈する議員も出てきた。
新聞によれば、現時点の修正案への賛成は「民主党会派の7人と公明、富士の会の計14人」と「みんなの党・無所属クラブ」の2人も賛成へ傾いていると言う。
過半数の33人には届かないが、民意を少しでも汲もうという議員がいることは救いである。


◎どっちみち、この手の戦いは長期戦を要する

「間接民主主義が日本では機能しない」と嘆いていても仕方ない。
政治は常に民意とはズレたところにある。
正しいときもあれば、大外れのときもある(今回のように)。
外れたからと言って、暴動を起こすわけにはいかない。
それよりは国政選挙だ。
国民が誰にも邪魔されず民意を通せる機会!
幸運にもまだこの国にはそんなチャンスがある。


◎最後に、肝心なことを指摘しておきたい

誰も言わないが、中部電力の本音についてだ。
以下、僕の推論だ。
電力会社にも良心がある、との思いから出て“希望的な観測”と言ってもいい。

中電はもう1度、国が待ったを掛けてくれることを待っている!
人間だから、掛けたコストは取り返したい。
原発を5基も作った。プルサーマル型まで導入。福島第一原発の倒壊を目の当たりにして、津波対策にも大金をつぎ込みつつある。
『無駄にしてなるものか』の思いがあるのは、経営をしている以上、当然だ。しかし『この技術、行き止まりだな』とも考えている。
馬鹿でない限り、本音を言えば、東海地震の震央に立地する原発が無傷で終わるはずがないとも思っている。格納容器は頑丈でも、建屋に張り巡らした配管がすべて無事であるなど、考えようもない。不測の事態に対する対処にも自信がない。
理論と実践の間に、想像を絶する溝があることを、技術者は知っている。何重もの下請構造。素人とプロが混在する現状。
本当は、誰も「ゼ・ッ・タ・イ・ア・ン・ゼ・ン」の自信を持っていない。
別に原発に固執しなくても、割高の電力を国民は飲むと言っている。
そっちに切り替えたほうが、会社としてもリスクを縮減できる。
『しかし、株主が……』
株主代表訴訟を起こされて、経営陣に責任を負わされてはたまらない。
だから「国のお墨付き」なのだ。


◎原発反対は、命の叫びである

企業経営者は国民のことなど考えていない。
会社の存続、自分の利益…。
政治家はシューカツ(就職=当選)のことだけ。
マスメディアは、電力会社から流れる広告費が何より大切。
官僚は利権とメンツ。
このような者たちにかじ取りを任せて原発は存続している。
僕らはこの原理原則を脳裏に刻みつけたうえで、政治的に選択しなければならない。

原発反対は、命の叫びである。
経済論理や原発に巣食う者たちの都合にすり替えられてはならない。
僕らは、論理的、政治的にクールに判断していかなければならない。




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