まなじり決して語れ!菅直人 | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。




13日に菅首相は「脱原発発言」をしたが、今のところ新聞各紙を見る限り、
その扱いは予想外に地味である。


こうした扱いを見るにつけ思い出すのは、
2004年の小泉元首相「郵政解散」会見の熱気と衝撃だ。


■郵政解散、小泉さんの役者ぶり

「参院が郵政改革法案に反対して否決した、だから衆院を解散し、
国民にどちらが正しいか答えを聞くッ!」


今振り返れば論理はめちゃくちゃ、だが胸のすくような啖呵(たんか)だった。
当時、新聞もテレビも他のメディアも「非論理性」を突くこともなく、
一気呵成に選挙ムード、大興奮へとなだれこんでいった。


これが「言葉の力」だ。


首相ただ一人の個性で、自民党は衆院300議席をもぎとった。
それに比べると、菅さん、やはり役者ぶりが落ちるようだ。
乱暴でもなんでも「脱原発解散」を打ち上げればよかったのに、
「表明する」にとどめたために、メディアから細かい矛盾を突かれ、
「思いつき」だの「場当たり」などと、追及される始末だ。

hidekidos かく語り記-菅首相


■迫力に欠けた「脱原発」会見

会見自体、しまりがなかった。
第一声こそが大事だが、
語り始めたのは、もごもごと震災発生からの政権の対応ぶり。
こんな説明、誰もこのタイミングで聞きたくはない。そしてようやく本題に…


「この震災があるまでは私も原発政策は推進すべきものと思っていました。
しかし、福島第一原発の事故を目の当たりにして…」


何とも正直な男ではある。
僕も同じだった、大多数の国民も同様だったと思う。
しかしこの場合、なぜ脱原発に転じたかの理由など先頭で話すべきであったかどうか。


僕みたいな素直な人間は『正直でいいじゃないか』と思う。
しかし政治の手練(てだれ)からみれば
「なんだ、あんたは急ごしらえなんだな」ということになる。
案の定、翌日の朝刊では「付け焼刃論」という批判が出てきた。


■こんな啖呵が聞きたかった

まず結論を話す。
そして、文句があるなら、こう語ればよかったのだ。


長く続いた自民党政権で原発推進政策をとってきた。
民主党に政権が移っても、引き続きその政策を維持した。
その間、原発を推進する理由としていろいろなキャンペーンをしてきたが、
それらの言葉はみんなうそだった。
うそではないまでも、国民をミスリードする一方的なものだった。


例えば、以下のような表現---


原発はクリーン、
二酸化炭素を出さず環境にやさしい、
コストも割安、
(予想される)大震災の震央に在ってもそれなりの備えはしている、
制御棒を炉心に差し込めば原発は止まる…。


これらはすべて、条件付きの一部真実に過ぎなかった。
ふつう日本語ではこういう状態を、「ウソ」と言う。
首相自身を含め、国民はなんと素朴にこれらの言葉を信じてきたことだろう。


しかし事実は違ったのだ。


■正義に反する原発推進キャンペーン

ここにおいて菅首相は正直さを発揮すればよかったのだ。
政治家はもっと原発について勉強べきだったのに、以下の事実を知らなかった、と。


放射性廃棄物は天然ウランの1億倍も有毒であること、
核の最終処分法を人類はまだ開発していないこと、
1兆円をかけながら高速増殖炉など一歩も実用化に近づいていないこと。


こんな危険なものを、このまま置くことは正義に反する。
さらに、地震でも津波でもなく、ただ原発事故という一企業の不業績によって、
8万人もの普通の人々が強制移動させられ、帰るめどさえたっていない。
これも国民への背信であった。


菅さんは国民の前でこんなことを語ればよかったのだ。


■評価半分、否定半分

菅直人という男を、僕は評価半分、否定半分で見ている。
正義を語るときは雄弁だが、我欲のかたまりであろう。
目立ちがりやで功名心強く、上へ上へとめざしてきた。


見え見えだから、その体質を嫌う人は多い。
しかし、俗っぽいそういう気質に対して、
政治へのカンは鋭い、という特性が備わっている。
国民が何を望んでいるか、ということへの嗅覚(きゅうかく)と言ってもいい。


いろいろな意見はあるだろうが、原発震災を目にして国民は、
(経済的な側面から、即座の脱原発をちゅうちょしている人を含め)
大多数は、できれば「原発のある生活」はなしにしてほしい、
少なくとも近い将来においては、と思っている。


また、地震国の日本に切迫の危険が迫っていることも国民は知った。
東海地震の震央に位置する浜岡原発の危険である。
さらに為政者の菅氏は思ったことだろう。
2度目の原発震災は絶対に防がなければならない、と。


だから菅氏は、「浜岡原発」を止めたのだ。


■浜岡原発を止めたのは後世に残る功績

政治家、菅直人という人は毀誉褒貶(きよほうへん)が多い。
しかし、「浜岡」を止めたことは後世に残る業績である。
なぜか。
みなさんに聞きたい。
首相、菅直人以外の誰がこの危険な原発を止められたか、と。


日本においては、裁判所も頼りにならなかった。
市民グループの差し止め訴訟の一審、静岡地裁は原告の訴えを一蹴した。
司法もだめ、一般市民も知らぬ顔、学者も大半は関りたがらなかった。


大震災が起こり福島原発が壊滅し、その災害を今も根本解決できない。
こういう状況に接し、他の原発の危険を容易に想像できるにもかかわらず、
次に政治は何をすべきか、誰も何も言い出さなかった。


だから菅氏の中電への「要請」は唐突に見えた。
当たり前だ。
抜き打ち、不意打ちでなければこんな政策転換、
もみくちゃにされて日の目を見ないこと、明白だ。


「政治家・菅直人」へのこだわりを持つ、菅氏以外にこんな蛮勇はふるえない。
民主国家の日本で、奇跡的に「首相の一言」は切り札となった。
それが大多数の国民の常識・願いにかなっていたからだ。


■菅氏以外の誰かに代わった方がいいのだろうか

以後、政官財トライアングルの既成勢力、それにマスメディアまでが加わり総攻撃。
首相は「退陣表明」を余儀なくされた。


しかし市民運動出身のたたき上げは、小気味よいほど?往生際が悪い。
政権を投げ出さず、今も粘りに粘っている。
内閣不信任案を「辞任約束」という言葉一つで封じ込んだ。


これは詐欺かもしれない。
だから、国民の支持率は低い。
しかし、国民にとって菅氏以外の誰かに代わった方がいいのだろうか。


原発推進の既成勢力の力は強い。
13日の2度目の菅氏の”爆弾”に、今度こそ完全に頭にきただろう。
2匹目のドジョウを得させないよう静かに黙殺。
その間には民主党が割れてくれるだろう。
そんな思惑が透けて見える。


■「脱原発解散」できないものか

小泉元首相との違いはまだあった。
小泉さんは当時、まだ国民の人気をつなぎとめていた。
しかし今の菅氏はまさに四面楚歌である。


いつまでも辞めない首相に国民のイライラは頂点に達しつつある。
ぐずぐずしていると「脱原発路線」もうやむやにされそうだ。


ならば辞める一手ではないか。
「衆院を解散する」と言えばいい。
そして、自らは次の首班指名の候補者にはならないと宣言する。


そんなばかな理屈があるかと批判が巻き起こるだろう。
ここにおいてこそ、役者の見せどころだ。


原発は持続する地球のため、あってはならないのだ。
その事実を目の当たりにしても、政治は腰を上げないではないか。
だから今、首相たる自分にできる唯一のこととして私は、
原発の是非を問う「国民投票」として解散カードを切ったのだ。
立候補者は全員、原発についての政策を述べるべし。
そして国民よ、心して人を選べ。
日本の歴史を変えるかもしれない大きな大きな投票である。


何も僕がアジテーションすることもないが、
安全神話が崩れ、しかも猛毒の核廃棄物を最終処分できない事実が広く知れ渡った今、
原発をどうするかは優に「国民投票」のテーマたるに足りる。
まなじりを決して、菅さんには、国民に訴えてほしい。


と、まあ、僕はそんな展開になることを夢見ている。






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