僕がもし「JIN 仁」だったら | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。


毎週日曜よる9時、僕は「東芝日曜劇場 JIN 仁」をみている。
現在の脳外科医が幕末の江戸にタイムスリップし、
「歴史を変えてしまうのではないか」と恐れながら、
次々、斬新な医療技術駆使して庶民から、時の人までを救っていくという話。


おもしろい。


それは幕末のヒーロー、坂本竜馬や西郷隆盛、勝海舟らと出会って
一庶民が、否応なく歴史の奔流に巻き込まれていくという、ストーリーの卓抜さだけでなく、
一種、哲学的な(と言えばおおげさだが)思念に駆り立てられるからだ。


JINが歴史にかかわってしまうのは、最新医療技術もった優秀な外科医だからである。
「やぶ」なら評判にはならない。
竜馬に出会い、交流することもなかったろう。
また、内科医であったなら「市井の医者」になれたにしても、
「仁友堂」を開き、多くの医師を指導するほどの人物にはならなかった。

hidekidos かく語り記-大沢たかお


では自分は?


大沢たかおの熱い演技をみながら、
経験と言えば、地方紙の記者であり編集者(デスク)でしかなかった自分が、
幕末にタイムスリップしてしまったらどうだろうと、考える。


うーん、まいってしまう。
ただただ、戸惑うばかりだと思う。
人と少し違うのは、歴史を知っているくらいのもの。
それも、年月日まで詳しく覚えているわけではない。
また、知っていたとしても、「それが何か?」である。


先を予見したとして、得られるのは「災難」くらいのものではないか。
ろくなことにはならない。
ゆえに、未来から来たことなど、人に打ち明けられるものではない。


さて、困った。
この年齢と言うのもやっかいだ。
61歳、還暦を回っている。
江戸時代なら、とうに隠居しなければならない年齢だ。


第一、着の身着のままこの時代に転げ落ちたら、ただの馬の骨でしかない。
サムライにはなれない。商人にもなれない。
肉体労働が苦手だから、農民をやることもできない。
落ちるところが江戸なら、何とか人混みにまぎれて…。


首尾よくそれができたとして、僕は何者になれるだろうか。
瓦版屋で雇ってもらえるだろうか。
この期に及んで、人に使われることを考えるとは。
どうにも、サラリーマン根性が抜けない(情けない!)


ならば幕末の風雲に乗って、倒幕の志士になろうか。
度胸があれば、できるかもしれない。
しかし、新撰組などという殺気だった連中をリアルで見たりしたら、
とてもではないが、おっかない。


かくして僕は、想像力の中だけで挫折してしまう。


幕末は僕には向いていない?
ならば元禄時代なら…。
いいかもしれない、とは思うが。
戦国時代、平安時代、卑弥呼の時代、縄文時代…
いつの時代も、庶民の生活は圧倒的に貧しく、かつ過酷である。


こうして見ると、「歴史」というやつは、ほんの一部の上層部
(庶民から見れば「かすみ」のような連中)のものだったことが分かる。
確率的にみて、自分がそのかすみの階層に入り込める余地は、ほぼない。
だとすると、僕のタイムスリップはどの時代に落ちるにしても
悲惨なことになりそうだ。


この程度の能力とわずかな努力で、なんとか暮らしてこれたのは、
「現代」に生れ落ちたおかげである。
だから僕は、この時代に対して、深く、深く感謝する。


らちもないことを書き綴ったが、最後に重要なことを。


せっかく戦争という政治の暗愚に遭遇せず生きて来られたこの60年、
原発放射能などという愚かな「技術過信」のために、
未来の日本の可能性を閉ざすようなことだけは避けてもらいたい。
この時代のエリートたちに、そのことを強く訴えておく。


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