
F1日本GPが開幕、フリー走行のためピットからコースに向かう佐藤琢磨=28日午前、静岡県小山町の富士スピードウェイ
今年はトヨタの傘下の富士スピ-ドウエイだが 直線が長いから面白いかな・? 去年までは鈴鹿でしたが
やはりホンダ勢に活躍して欲しい Hondaの快進撃が始まった。86年にはウィリアムズ・ホンダがコンストラクターズチャンピオンを獲得した。
そして、日本人にもF1レースをもっと知ってもらいたい、もっと興味をもってもらいたいという考えのもと、87年に初めて鈴鹿サーキットにF1を招致することに成功。以来、19年間に渡りF1日本GPを開催して、日本でのF1浸透に貢献してきた。この記念すべき日本GP初開催の87年は、ネルソン・ピケとナイジェル・マンセルのウィリアムズ・ホンダに加え、アイルトン・セナと日本人初のF1フルエントリードライバー中嶋悟のロータス・ホンダにもエンジンを供給。2チーム4ドライバーで臨み、ウィリアムズ・ホンダが念願のドライバーズとコンストラクターズのダブルチャンピオンに輝いた。
88年にはマクラーレン・ホンダが16戦中15勝と圧倒的強さを誇ったが、翌89年よりレギュレーション変更でターボが禁止に。この時点でHonda内部では初期目標の達成とターボエンジン開発の終了から、参戦休止という意見も出ていたが、本田宗一郎は「ターボ禁止はHondaだけか? 全チームが同じ条件で戦うのならばいいじゃないか。それでこそ、ヨーロッパの人たちに評価されるじゃないか」と意見した。
結果的には厳しい燃料制限を克服するために3.5リッター自然吸気エンジンを開発し、参戦は継続された。そして、ダブルチャンピオンは1991年まで5年連続で続くこととなる。91年にはマクラーレンへV12エンジン、ティレルへV10エンジンとタイプの違うエンジンを同時に供給するなど、将来像を描きながら絶えず挑戦を続けたが、「所期の目的を果たした」という理由により、10年目の区切りを迎えた92年シーズン終了をもって、HondaはF1レース活動を休止することとなった。
私も88年に鈴鹿に初めて見に行きましたが 度迫力
凄かった 音が凄い 隣の声も聞こえない
是非Hondaに入賞して貰いたい 頑張れアグリチ-ム HODA勢![]()
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