ひで坊の長浜→大津日記 -77ページ目

男山=真言山

最終回も近い石清水八幡宮紀行



↑三の鳥居 なにやらネコが横切った



↑あったあった奉納一斗樽
坊の好きな黒松白鹿 玉乃光…あるねぇ
酒の神さまは摂社におられず
住吉・貴船・氣比・若水等
海(水)にまつわる神さま多し


↑ストレートに続く表参道
坊はここで坊さんと出会った…

ここでだ
…男山の麓には「神應寺」
いわくありげなネーミングの寺がある
不動明王をいただく滝の行場もある

「神應寺」の開祖は
南都真言宗大安寺の僧行教
宇佐八幡より石清水の地に
八幡神を勧請したのも行教

大安寺のホームページには
行教は石清水八幡の開祖とある
石清水八幡宮のホームページには
859年行教が宇佐八幡宮より
八幡神を御奉安
翌年860年清和天皇が社殿を造営したとある
清和源氏の崇高はここに始まる訳だ

つまり
男山は元々真言宗のお山だった
八幡神を勧請して真言宗と習合した
石清水八幡宮は両部神道だ
真言密教系の鎮護国家神社なのだ

おもしろいのは平安京の
表鬼門を鎮護するのが天台宗比叡山
裏鬼門を鎮護するの が真言宗男山
魔都平安京は
天台真言の両平安密教のお山で
守護されていたのである
最澄と空海二人にね
因みに二人とも大安寺にご縁がある


↑ようやく本殿が見えてきた

坊には平安京に占める石清水八幡宮の
役割があの奥に見えてきた…









石清水寺&社

さて石清水八幡宮だ

高良神社を過ぎると裏参道が見えてきます
急な坂ですのでここはパスがよろしかろう

駅前の観光案内所で頂いたマップを見ると
伊勢神宮遥拝所と水分神社へのルートと
なりますが…


↑二の鳥居です
正面に続くのが表参道
坊はほんとは下って来ているのですが…

途中の分岐点を右にとり
どんどん石段を登ります
と現れるのが松花堂跡


なんもない…
弁当にその名を残す松花堂昭乗
江戸初期の真言宗の坊さんです
彼の庵跡
真言寺院があったんですよ
つまり石清水八幡宮は
両部神道なんですね


↑石清水社&石清水井
右手が社殿です
石清水本宮より古いんだそう
石清水八幡宮のネーミングも
こちらからきているということで
元石清水というべきか
また石清水寺なる寺院もあって
本宮鎮座前から男山は神仏習合の地
だったんです

石清水寺は後に護国寺と名を替える
護国寺→鎮護国家→真言宗
やっぱり両部神道だ

石清水井はというと
冬は凍らず夏は枯れず
山水をたたえた古井戸の趣
表参道の途中にも
小さな滝のような流れがありました

男山の地は
桂川に宇治川に木津川と
京都を代表する3つの川が合流する地
川向こうにはサントリーの山崎蒸留所

水との因縁浅からずとみた…
応神天皇も神功皇后も
ヒメ大神(宗像三女神)も
みんな海にまつわる神さまだ

海→→水
この地に八幡神が鎮座された理由は
水が関わっていた…
じゃあ酒の神さまは…

本殿まではまだつづく…




大魔神=応神天皇



↑頓宮殿を過ぎると
直ぐに高良神社です
徒然草で有名な仁和寺の坊さんの
ショートストーリーの舞台ですな

教訓はといえば
何かことにあたる場合は
あらかじめ人に聞くとか
調べることが大切
みたいなことだった

行き当たりバッタリの
出たとこ勝負
結果オーライの坊には
耳が痛い…

坊さんが石清水本殿と間違ったにしては
ちぃと小さいです
村の鎮守さまのイメージ

さぁてと
タイトルのお話しはと…
またぞろトンデモ話かい
なんて侮るなかれ

↑第2刊ですわ

大魔神の和御霊は
武人埴輪の様相ですね
表情はいたって優しく穏やか
対する荒御霊は憤怒の形相

さてここで
大魔神を八幡神と仮定しよう

埴輪は古墳時代の古墳の遺物だ
時に終焉は6世紀後半

一方
八幡神は宇佐八幡を起源とする
武勇の神だ
主神を応神天皇とするご託宣が下った
のが570年頃6世紀後半ときた
古墳時代と八幡神は時を同じくする

総体としての八幡神の中で
唯一男神は応神天皇
女神は神功皇后と宗像三女神

必然…イメージとして
和御霊たる武人埴輪が女神
荒御霊たる憤怒像が男神
よって
大魔神(荒御霊)は応神天皇だった

因みに魔神を封じ込めたお山は
全国的に散見する八幡山
である

…だからどォなん
なんておっしゃるな
それをいっちゃあおしまいで…