淳仁天皇私見 | ひで坊の長浜→大津日記

淳仁天皇私見

…続けよう

まず結論ありき
淳仁天皇舟型陵とされる遺跡は
1910年(明治43年)に保良神社が地元の
2社と合祀された際
意図的に作られた
宗教的アトラクション
である
ひで坊の長浜日記-131013_1057~01.jpg
↑舟の舳先

舟型陵であるが
遺物がなさすぎる
学術的な発掘がなされていないこともある
舟型陵の石組みも
1200年の風雪に
耐えたようにも見えないこれは…陵墓では…ない古墳の年代測定に知見のない坊にでもわかる
ひで坊の長浜日記-131013_1059~01.jpg
仮にも元天皇だ
それなりの生活の痕跡
くらいあろう
それがない…全く

くわえて
こういう場合伝説の
一つや二つはあるはずだ例えば地元女性との
ラブロマンスとか…
逸話それすらもない

天皇号を改めて授かってから140年あまり
菅浦の地になかなか
淳仁天皇の実像は
浮かんでこない

かの地の民は歴史上の
敗者「廃帝」をなぜに
かくも長きに亘り御守りしてきたのか
その必然性は…

いや
ここでぶれてはいけない立ち位置の軸足を
踏みしめて考えろ

そうだ
舟型陵の下に
本当の御陵が隠されて
いるんだ
御陵の上に須賀神社は
建っているんだ

その必然は?
主が「廃帝」だからだ
歴史上の敗者を堂々と
お祀りできなかったんだ

ふぅ疲れた
想像しながら考えて
すこし立ち止まる

「必然性」をキーワードに淳仁天皇の生涯を
読み解けば新たな発見にたどり着きそうな予感
…しばし遊ぼう