あわてて降っているかのような
大雨が伊丹を覆っていました
今日の通夜で親族、弔問者に住職さんが仰りました。
まだお若い故人のご訃報を聞かれた皆さんは
「まさか?!」と思いませんでしたか?
生きている事が当たり前で死んでしまう事が偶然だと
まさか彼が死ぬなんて、と思っていませんか?
それは反対なんです。
生きている事が偶然で死ぬ事が当たり前なんです。
この世に生を受ける事はもの凄い偶然なんですが
産まれてしまったからには100%確実に死ぬのです。
今日は亡き方を送りに来た、とか供養しに来たとか
それではいけません。
この故人が死んだ事を自分に置き換えて、
自分の命もいつか確実に終わりをむかえる
と言う事をしっかりと確認して下さい。
サッカーのロスタイム、今は後何分か表示しますが
昔は表示が無かった様です。
そうすると選手の皆はいつ終わるか判らないから
必死になって走り回ったと言われています。
まさに皆さんの命はそんなロスタイムの真っ最中だと言えます。
いつ終わるかは判らないですが確実に終わりに向けて
一歩一歩、一日一日、進んでいるのです。
その命の大切さを改めて確認する場所がお通夜なのです。
お経は故人にあげているのではありません、
皆さんに対して唱えているのです。
そして、皆さんはお経を聞いているのではなく
故人の死によって
聞かされている、聞かしていただいているのです。
お花も供えているのなら故人に向けて置くのに
全ての花が私たちの方を向いて飾られています。
私たちが見させていただいているのです。
あすの葬儀もお参りに来られて手を合わせると思うのですが
皆さんがそうしに来ているのではなく
彼の死によってそうさせられいるのです、
いただいて生きている大切な命だということを
しっかりと再確認する事によって
故人の死も無駄にならないのだと思います。
良い話ですね
浄土真宗のお坊さんでした。