仕事柄、僕は色々なお坊さんの話を聞く機会がある。
一番多いのは通夜の読経後と、初七日の読経後の法話。
その中でも心に残る法話と、そうでないのがある。
そんな中から一つ。
あるお坊さんがおられます。
その方は
葬儀の風習や宗派でのしきたりなど、色々教えて頂いたり
葬儀の意義や生活の中での仏教など
色々な事で相談をさせていただいてる。
そればかりか、仕事上のご縁を超えて
うちの二人の子供の名前を一緒に考えていただいたり
子供も大きくなった今では
夏の夕方に一家総出でお寺の庭へ鯉を見に行ったり。
勿論、春の永代経と秋の報恩講は家族揃ってお参りをさせて頂いている。
その方が、通夜読経後の法話で良くされる話だが、
縁があって、今日、ここで読経し、こうして話をしています。
縁があっての事なのです、
縁がなければ皆さんとこうして出会う事も無かったでしょう。
様々な方との、色々な事との縁が全て揃って、
始めて今こうして皆さんと共に故人に読経できたのです、。
縁があるから出会い、縁が無くなれば別れる。
親子の縁、兄弟の縁、友人等の社会的な縁、
その中でも大きなのは夫婦の縁です。
全く違った環境で育った二人が出会う
全くのあかの他人が出会った事で、共に同じ方向を目指す。
一方が進む道を外れてしまっても、もう一方が修正をし、
共に笑い、泣き、喜び、苦しみ。色々な事を共有、享受しながら暮らす。
生まれて来た時は別々です、人は一人で生まれ、一人で死んで行くのです。
そんな命の中で、出会い。共に過ごす。共に生きる。それが夫婦です。
しかし、そんな夫婦にも出会った縁がある様に別れの縁も必ずやって来るのです。
今日は故人が送られ、残った家族は送る側です。
皆さんに沢山の思い出があり、
いま、こうして送るにあたり、沢山の思いがあると思いますが
一番思いを沢山持っているのは故人なのです。
家族を残して一人去らなければならない身、
残していく家族に何の声も言葉もかける事が出来ないのが故人。
故人の願いは あれやこれやでなく
残った家族の平和と健康だと思います。
「体、大事にして 仲良くしてな...」
それにつきるでしょう。
そして、故人の死を無駄にしない為には
その願いに応えてあげる事、それが大切なんではないですか?
そして、皆さん自分自身にも必ず死はやって来て
いつか故人と同じ様に送られる側になると言う事を再確認して下さい。
++++++++++その2に続く+++++++++++