ブアちゃんの放課後キック倶楽部 -12ページ目

ブアちゃんの放課後キック倶楽部

キック、ムエタイ等の格闘技全般を独断と偏見でコメントします。

皆さんこんばんは。
お久しぶりでございます。

最近は地上波での格闘技番組も少なく、当時の活躍していた選手達はどうしているのか気になる所。
今回は日本であまり馴染みのなかった77㌔以下クラスの実力者を振り返ってみましょう。

当時K-1のミドル級WORLDMAXが全盛期だった頃、日本では魔裟斗選手をはじめ小比類巻選手や佐藤選手が活躍していました。
オランダからはクラウス、サワー選手が頭角を表し、タイからはブアカーオ選手が出てきました。
ほどなくしてヨーロッパ各地でも予選が開催され、GLORYで活躍する前のホルツケンやキシェンコ選手が本戦に出場するようになりました。
地上波ではカットされることが多かった試合にチラッと映る程度でしかなかった中で、ヨーロッパではビッグネームが沢山いたことを皆さんはご存知でしたか?

まずキシェンコにボコられた印象しかないアルビアル.リマ選手。
アフリカン重戦車という大雑把な異名をつけられていたリマは列記とした77㌔以下のクラスでは実力者。
WORLDMAXが旗揚げされる前に消滅してしまった団体スーパーリーグのトップファイター。
自慢のフィジカルの強さとスタミナで相手を圧倒し、自分のペースに引き込む戦法が得意だった。

次に当時Sミドル級でタイロン.スポーンと実力を2分していたユーリ.メス(ジョエリメス)も元々は77㌔以下が本来のクラス。
バダハリやマヌーフが所属していたマイクスジムの看板選手で嵐のようなラッシュを武器に強豪を沈めてきたハードパンチャー。

次は私が個人的に好きだったナジム.エトゥハリ選手。
WORLDMAXのヨーロッパ予選に出場するも残念ながら勝ち上がれなかった強豪選手。
確か2回ほど出場していたがスティーブルマンやイムロメインにボコられ終了、全盛期を知っている私からしたら見ていられないくらいの惨敗。

次は欧州でも日本でも知名度があるライアン.シムソン。
シュートボクシングのリングにも上がっていましたね。
長いリーチを生かして試合をコントロールする目と勘の良い選手。
ただ、実力はありながら試合内容が地味だと理由で運営陣から嫌われた、ヘビー級でいうウスティノフと同じ。

これも私が個人的に好きだったのがデミトリー.シャクタ選手。
結局日本のリングには登場しなかったはずだが、抜き出た武器はないものの、東欧らしいムエタイスキルの高さに加えパンチ、キックのバランスがよくコンビネーションで圧倒するタイプ。

後はブアカーオと対戦経験のあるカマル.アムラーニも上記に上げた選手達同様、本来の魅力を伝えれなかった選手。

最後に本業はムエタイであり準タイ人と言っても良いくらいタイを愛する男ジョン.ウェイン.パー。
ウェインも実力はありながらもWORLDMAXでは結果を残せなかった不運の持ち主。
あえて不運と言わせて頂いたが、初戦で優勝者のブアカーオと闘い、本戦draw延長か再延長か忘れたが判定負け。
内容的には一進一退の攻防でブアカーオも苦戦を強いられた試合だったと本人の名誉のために付け加えたい、タイでも人気実力ともあったウェインをブアカーオは試合前の取材に対して「ウェインが一番怖い」と語っていた。
しかしウェインは昔から好試合はするものの延長で負ける試合も多く、詰めの甘さが目立つのも確か。

今回数名の選手を紹介させて頂きましたが、強豪ながらも全員が本来のベスト体重が77㌔~74㌔のSミドル級であること。
でもプロである以上完璧にウエイトをリミットに合わすのは当たり前と突っ込まれて当然だが、当時スーパーリーグが消滅し、77㌔以下の試合を組んで貰える団体がなかったのだ。
普段は筋骨隆々の体も、70㌔までの減量となると張り艶を失い肋が浮き出た貧弱な体になって力を出せぬまま敗戦を重ねフェードアウト。
スポーンのように減量より少しずつ増量しヘビー級に行く方が良かったかもしれないが所詮は結果論。

いずれにせよ闘いの場を求め70㌔以下に挑戦し結果を残せなかったのは残念ですが、WORLDMAXもなくなり70㌔以下でも固定の試合も厳しい現実。
各地を転戦しながら食い繋いで行くのがやっと。

後にショータイムやGLORYで本来のベスト体重で活躍できるようになったホルツケンやキシェンコはまだ若く、引退意外の選択肢が選べたのは我慢と運があったのだろう。