現実は厳しい・・・解ってはいるつもりでいたが、実際に現実を目の当たりにするとやはり落ち込む。今年度の業績評価はサラリーマン生活始まって以来、初めて経験する最低のD評価。今期は約2ヶ月半しか勤務出来なかったのだから当然の結果である。
自分にとって、会社をこんなにも長期間休むことになるなんて初めての経験だった。長期に会社を休むということ、それは経験者でないと分からない辛い現実がある。正にマイナスからのスタート、そこには「ない」ことだらけの会社生活が待っていた。長期に休んでいたのだから、自分が「いない」ことで職場は回っていた。だから満足な仕事が「ない」、リハビリ勤務期間は出勤していても勤怠が「ない」、仕事を抱え込んでいた人間が急に席を空けてしまったことにより今の自分には信用が全く「ない」、有休は使い果たしたので休みが「ない」、給料は基本給は出ているが諸手当やボーナスは「ない」、その上に突きつけられた評価は最低・・・。会社の同僚は悪気なく、休んでいたから仕方ないと言う。確かにそうだ。病気になってしまった事は会社や他の誰かや自分の責任でもない。そう考えてこの現実を受け入れていくしかないけれど、病気のせいで仕事が出来なかった、会社に行けなかった悔しさ、病気にさえならなければ・・・久々にそんな事を考えて落ち込んでしまった。
パートナーに最低評価だったとラインで伝えた。「復職しただけでも頑張ったよ。自分はヒデが元気でいてくれるだけで嬉しい」と返ってきた。その言葉に張りつめていた糸が切れたかのように胸が熱くなり、スマホの画面が滲んだ。復職してから今日までずっと気を張っている自分がいた。体調が悪くても休めないのでインフルエンザや他の感染症にも気を付けなければとか、遅れを取り戻そうと焦る気持ちがあったが、空回りして以前の自分のように仕事が出来ないでいた。
以前のブログにも書いたように、会社にいると病気だということを忘れる時間がある。周囲は自分が病気になる前となんら変わらずにバリバリ仕事をして元気に笑っている。こんな大きな病気とは無縁の大勢の人の中にいるから病気を忘れてしまうのも当然である。健康な人でも会社に貢献し、業績を上げるのは並大抵な事ではない。自分ももう一度周囲から認められるような仕事がしたい。野心はあるのに、大風呂敷を拡げて忙しさに押し潰され、それこそ再発の原因にでもなってしまったらと思うとなかなか踏み出せない自分がいる。こんな自分に一体どこまで満足のいく結果が出せるのだろうかと考えてしまう。
サラリーマンとして大きな遅れをとってしまった俺。それを緩和ケア内科の先生に話すると、遅れを取ったと考えるのはおかしいとおっしゃる。この1年、治療に専念し、耐えてきた事は決して無駄ではないと。死を覚悟する程の出来事を経験した人間は、正しい判断が出来る術を身に着けたのだと先生は何度も自分に仰った。そうだ、その通りなのである。今自分がこの世に存在している事が奇跡的なことなのだから、今の自分にとって本当に大切なものは、仕事への野心や、結果を出せずに嘆くことではない、自分を心から心配してくれるパートナーや友人の存在なのだと思う。自分の事を大切に思ってくれている人々を二度と悲しませない為に、自ら再発に結びつきそうな事は決してやってはいけない。そうすると自ずと答えは見えてくる。
自分ではどうにもならない「ない」ことを嘆くのではなく、「ある」ことを探した方が幸せでいられる気がする。
先週、本退院後4回目の外来があった。経過は今の所順調である。来月の外来ではWT1の数値によってマルクを行うか否か判断すると先生は仰っていた。
去年は体感できなかった三寒四温。いつもは鬱陶しいと思うが、今年はそんな事ですら愛おしいと思ってしまう(笑)。空を見上げれば少し霞がかった水色に、確実に春の訪れを感じる。
振り返れば去年の春は、病室で窓の外を眺めながら、ラジオから流れてきた小柳ルミ子の「春の訪れ」を何度も聴いた。
今年は絶対に花見に行くぞーっ
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