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歴史を感じよう

日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」


コアラ前回はこちら⬇️



無敵と思われる最強タッグ、スタンハンセン、ブルーザーブロディ組。




コアラ今でも最強のタッグの候補だよね


ハンセン、ブロディ組に迫るタッグが、




ジャンボ鶴田、天龍源一郎組。


このタッグが本格的に動き出したのが、1983年の世界最強タッグ決定リーグ戦



しかし、ハンセン、ブロディ組の牙城は高く、



健闘虚しく、最終戦で負けたのです。




コアラこの時のハンセン、ブロディ組は敵なしって感じだったね。



翌1984年春に行なわれたPWF世界タッグ王座決定リーグ戦では、




善戦はしたが、ハンセン、ブロディ組が王座に付きました。


この時点でもうひとつのタッグ王座、インタータッグ馬場さんとジャンボのタッグが保持していました。


しかし、馬場さんがハンセン、ブロディ組に合体パイルドライバーで首を痛めて試合を欠場。



コアラこの欠場で馬場さんの連続試合出場がストップしたんだよね



馬場さんはこれを機にインタータッグを返上し、鶴田、天龍組に獲得を託したのです。



インタータッグ王座決定戦が鶴田、天龍組とタイガージェットシン、上田馬之助組で行なわれましたが、




二回も行われましたが、ノーコンテストと両者反則で決着がつかず…



コアラ馬場さんはこの結果を見て鶴田、天龍に叱咤激励をしたんだよね



インタータッグ王座決定戦はブルーザーブロディ、クラッシャーブラックウェル組と相手を代えて行なわれました。


ついに、




インタータッグを奪取したのです。




その年の世界最強タッグ決定リーグ戦で最終戦では昨年同様、ハンセン、ブロディ組。




鶴田、天龍組は攻め、ハンセンが暴走し、反則勝ち。


ついにハンセン、ブロディ組に勝ち、優勝したのです。




全日本プロレスは、新世代タッグが頭角したのです。




そして翌1985年、鶴田、天龍組に強力タッグが襲って来るのです。





つづく







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