和を以て貴しと為す
わしは長尾景虎(ながおかげとら)です。
鎌倉公方・足利持氏(あしかがもちうじ)が小栗満重(おぐりみつしげ)を討って、反乱する勢力は鎮まってきた。
応永30年(1423年)8月、反乱勢力だった下野国の宇都宮持綱(うつのみやもちつな)は一族の塩谷教綱(しおやのりつな)に狩猟に誘われたが、
殺害されたのだ。
この報せは鎌倉にいた上杉憲実(うえすぎのりざね)にも届いた。
家臣の長尾景仲(ながおかげなか)が慌てて、
景仲「憲実様、宇都宮持綱が塩谷に殺害されたと報せが来ました!」
憲実「持綱殿が!?殺害とは…」
景仲「狩猟に誘われ、そこで…塩谷は宇都宮家の政争で対立していたと聞いていましたが…これは…」
憲実「持氏様が塩谷の後ろにいる…だな?」
景仲「はい…持綱は京都扶持衆の1人。」
憲実「持氏様は京都扶持衆を一掃しようとしている。これは幕府が黙ってはいまい…。」
景仲「幕府が攻めてくるやも…既に駿河の今川(いまがわ)が出陣できる状態だと…」
憲実らの懸念は現実となったのだ。
東国の武将が鎌倉を攻める準備が整ったとの報せが持氏や憲実に入ってきたのだ。
持氏「今川、小笠原(おがさわら)、足利満直(あしかがみつなお)、奥州もわしを攻めてくるのか!?」
足利満直さんは篠川公方と呼ばれ、持氏の叔父なんだ
持氏の重臣、一色直兼(いっしきなおかね)が、
直兼「武蔵の国人衆も出陣してきます。」
持氏「直兼!兵を集めよ!!」
直兼「集めてますが…兵の数では負けまする。」
持氏「くっ…」
持氏は悔しがった。
そこへ憲実が入ってきた。
持氏「憲実、幕府の軍勢が攻めてくるぞ!戦の準備をせよ!」
憲実「なりませぬ!!」
持氏「何!?降伏せよの言うか!?」
憲実「なぜ争うのですか?」
憲実は持氏を真っ直ぐ見ていた。
憲実「京の将軍、義持(よしもち)様は同じ足利一族ではありませぬか!?初代将軍、足利尊氏(あしかがたかうじ)様は一族で争うために子の基氏(もとうじ)様を鎌倉にお遣わしたのですか!?」
足利尊氏
尊氏公は嫡男、義詮(よしあきら)公を将軍に、弟の基氏公を鎌倉公方に任じていたのだ。
義詮さんと基氏さんは父も母も同じなんだよ
持氏「……憲実、まだ幼いの思っていたが成長したな。」
憲実「いや…まだまだです。ただ、争わなくてもよければと思い…」
持氏「わかった、此度は折れよう。戦っても何も生まれぬな。」
憲実はホッとした。
応永31年(1424年)2月、持氏は義持に起請文を送って和睦を申し出たのだ…。
つづく…








