和を以て貴しと為す
わしは長尾景虎(ながおかげとら)です。
応永35年(1428年)1月18日、足利義持(あしかがよしもち)が亡くなり、室町幕府の将軍は籤引きで義持の同母弟の義円(ぎえん)が選ばれた。
義持さんが後継ぎを決めず、幕閣の話し合いで籤引きで決めることになったんだよ。籤引きは石清水八幡宮で行われたんだ。
現在の石清水八幡宮
管領の畠山満家(はたけやまみついえ)と満済(まんさい)が青蓮院の義円に報告を行ったが…
現在の青蓮院
義円「わしが将軍にと…」
満家「はい、籤引きにて義円様が将軍に選ばれました。」
義円「…お断りします。」
満家「なんと!?なぜでございますか?」
義円「わしは出家の身。今さら俗世に戻ることはありえぬ。」
満済「亡き義持様も籤引きで決めることは承知されております。」
満家「何とぞ!」
義円「兄上(義持のこと)が承知されようと、無理なのものは無理だ。」
断った義円に幕閣の諸大名は幾度も訪れて強く要請した。
そして、
満済「義円様、これは神意にございます。」
義円「…神意か、神意によって将軍となるのか?」
満済「仰せのとおりにございます。」
義円はニヤリと笑みを浮かべて、
義円「わかった。将軍職を継ごう。神意によって幕政を行なおう。」
義円
3月、義円は還俗して義宣(よしのぶ)と名乗った。
還俗って出家して僧や尼になった人が、その身分を辞めて一般人に戻ることなんだ
義宣が将軍となることを知った鎌倉公方、足利持氏(あしかがもちうじ)は荒れに荒れた。
矢を放ちながら、
持氏「籤引きで将軍が決まるとは!!なんてことだ!?」
上杉憲実(うえすぎのりざね)は足利庄におり、来ておらず、側近の一色直兼(いっしきなおかね)がいた。
直兼「公方様(持氏のこと)ほどの実力者がいるのに籤引きとは…」
持氏「亡き義持公はわしのことを心の内に留められていたはず。」
直兼「憲実殿が虚言を申したのでは?」
持氏「憲実が?…」
持氏は憲実に対し疑念を少しずつ持ち始めた…
つづく…









