和を以て貴しと為す
わしは長尾景虎(ながおかげとら)です。
永享8年(1436年)7月…
「上杉憲実(うえすぎのりざね)が関東管領を辞めただと!?」
夏の室町御所で将軍、足利義教(あしかがよしのり)の声が響いた。
室町御所
室町御所は花の御所とも呼ばれていたんだよ
家臣「憲実は足利持氏(あしかがもちうじ)との争いを避けるためと関東管領職を辞めたと思われます。」
義教「ならぬ!憲実が関東管領ならばこそ、東国を任せられるのだ。慰留するよう使者を出せ!」
義教は密かに憲実と持氏が争うよう流布した噂が憲実に関東管領を辞任させることになろうとは思いもよらなかった。
憲実は藤沢から鎌倉に戻っていた。
憲実「忠政(ただまさ)、佐奈子(さなこ)と子らは無事、上野国に着いておるか?」
忠政「つづがなく過ごしておりまする。」
憲実「よかった…さて、公方様(持氏のこと)にお会いしに行こう。」
忠政「…大丈夫でしょうか?公方様方は兵を潜ませたり…」
忠政の心配はもっともだった。つい前まで両者は戦になる寸前だったのだ。
憲実「心配ない。平太(へいた)が密かに公方様の居館周辺を調べておる。」
平太は憲実の家臣で忍びなんだよ
鎌倉公方館跡
公方居館で憲実は持氏と対面した。
持氏「憲実…この文、関東管領を辞めるとは何だ?」
憲実「私が関東管領にいると争い事が起きまする。」
持氏「争い?わしはそなたと戦うつもりはない。」
憲実「公方様が望むと望まざると、公方様と私を争わそうとする者がいます。私が関東管領を辞めるしかありませぬ。」
持氏「…その者、義教か…」
憲実「いえ…私の方にも公方様の方にも…今は関東管領職を真っ当できませぬ。」
持氏「……ならぬ。そなたでなければならぬのだ。」
憲実と持氏の話し合いは平行線のままだった。
憲実は8月には一旦、関東管領に復帰の報もあったが、関東管領の署名等々を憲実は拒否したのだ。
憲実『わしは関東管領を辞めたのだ。』
しかし、憲実と持氏の争いは治まることはなかったのである…。
つづく…









