和を以て貴しと為す
わしは長尾景虎(ながおかげとら)です。
上杉憲実(うえすぎのりざね)は鎌倉の円覚寺(えんかくじ)に来た。
円覚寺
憲実は菩薩像に手を合わせた。
憲実『…公方(持氏のこと)様は京の将軍、足利義教(あしかがよしのり)様を認めようとせぬ。義教様は富士遊覧に来られる…2人の気性を思えば、争いに発展もしなかねぬ。どうすればよいのか…』
憲実は悩んでいたのだ。将軍、義教が駿河に下向し富士遊覧をする意向だが、これは鎌倉、足利持氏(あしかがもちうじ)をけん制する意味があるのだ。
そんな憲実を後ろから見ていた僧がいた。
僧「もし…その御武家様」
僧の声に憲実は振り向いた。
僧は憲実に手を合わせたまま、一礼をした。
憲実「私のことか?」
僧「はい…菩薩に手を合わせていたようだが、何やら迷い…お困りがあるように見えたので声をかけさせていただきました。」
憲実はハッとした。
憲実「御坊にはそう見えましたか…私は上杉憲実と申す。御坊の御名を教えていただきたい。」
僧「快元(かいげん)と申します。あまりにも雰囲気が穏やかではないと感じました。」
憲実「これは…お察しのとおりにございます。」
快元「悩んでも答えは出ない時もあります。今は憲実殿が何を目指しているのか…急いても事は仕損じます。まずは目指しているものを再度見直してから…考えてはいかが?」
そう言うと快元は去って行った。
憲実「わしが目指しているもの…」
憲実は悩みすぎていることに恥ずかしくなった。
憲実「今はやるべきことをやるしかない…か。快元様、ありがとうございます。」
永享4年(1432年)9月、
足利義教は富士遊覧のため、駿河国に下向した。
義教に従ったのは細川持春(ほそかわもちはる)、山名熙貴(やまなひろたか)、一色持信(いっしきもちのぶ)ら守護大名や公家、僧侶であった。
この一向を迎え接待したのが、駿河国の守護大名、今川範政(いまがわのりまさ)である。
今川範正
義教「富士の山、美しいの…ところで範政、鎌倉の動きはどうか?」
範政「今のところ、出仕する動きはありませぬ。上杉から関東情勢不穏のため動けぬと謝罪がごさいました。」
義教「憲実からはわしの方にも謝罪があった…持氏め、命拾いをしたの…」
憲実は先手を打って義教にも今川にも謝罪の文を出しておいたのだった…。
つづく…










