和を以て貴しと為す
わしは長尾景虎(ながおかげとら)です。
「義量(よしかず)!」
足利義量像
応永32年(1425年)2月、征夷大将軍、足利義量(あしかがよしかず)が亡くなった。
御所に義量の母、日野栄子(ひのえいこ)の悲痛な叫びが響き渡った。
義量さん、享年19…若すぎる
栄子の後ろで大御所、足利義持(あしかがよしもち)がぼう然と立ちすくんでいた。
義持「義量…あれほど酒を止めよと申したのに…それとも…守護大名の圧迫に耐えられなかったのか…」
義量は将軍ではあったが、実質、権力を握っていたのは大御所である義持であった。
しかし、義持は唯一の実子を失ったのだ。その衝撃は計り知れないものだろう。
幕府内では管領畠山満家(はたけやまみついえ)や細川満元(ほそかわみつもと)、山名時熙(やまなときひろ)らが将軍の後継ぎをどうするのか、話し合っていた。
山名時熙
時熙「お体が弱かった御所様(義量のこと)であったが、こんなに早く逝ってしまうとは…後継ぎはどうすればよいのか…」
満家「うむ…大御所様はお体が丈夫でお強い。新たな子の誕生の望みはあるのではないか?」
満元「大御所様は栄子様との夫婦仲が良い…側室を持たれるのか?後継ぎであれば大御所様の弟君がたくさんおられるが…」
そこへ義持の側近、三宝院満済(さんぽういんまんさい)が入ってきた。
満家「満済殿、大御所様の様子はいかがであった?」
満済「突然のことで落ち込まれておられる。」
時熙「…後継ぎのことは何か仰られておるか?」
満済「しばらくは大御所様が幕政をやられるおつもりです。後継ぎはまだお考えられないようです。」
満家「大御所様が幕政をやられるのなら、問題なく、今まで通りだな。」
満元「この時期に関東が騒がねばよいが…」
時熙「持氏(もちうじ)公か…」
この報せは鎌倉にも入ってきた。
持氏は正室、佳子(よしこ)と長男の賢王丸(けんおうまる)と家族団らんの時間を過ごしていた。
持氏「将軍、義量公が亡くなったと報せが入った。」
佳子「まだお若いのでは…」
持氏「19だそうな…大御所(義持のこと)には義量公以外に実子はいない。」
佳子「では、後継ぎがいないと…」
持氏「うむ…わしが大御所の養子になることもできるな…」
佳子「……」
持氏はよからぬことを考えていたのだ。
持氏の考えは上杉憲実(うえすぎのりざね)には困難を背負うことであった…。
つづく…









