和を以て貴しと為す
わしは長尾景虎(ながおかげとら)です。
応永27年(1420年)、元服した上杉憲実(うえすぎのりざね)は関東管領職に就いた。
関東管領って鎌倉府の長官で鎌倉公方を補佐する役職なんだよ
憲実は上野、武蔵、伊豆の3ヶ国の守護ともなった。
⬆️上野国って今の群馬県辺りだね
憲実は鎌倉公方、足利持氏(あしかがもちうじ)の許しを得て上野国に行くことにした。
従うのは長尾景仲(ながおかげなか)。もちろん、忍びの平太(へいた)も一緒である。
景仲「持氏様は上野へ行くことを快く許してくれましたな。」
憲実「関東管領職に就いたとはいえ、まだ、幼いわしが役には立たない。いろいろと経験せよと言うことだろう。」
景仲「持氏様は先の上杉禅秀の乱(うえすぎぜんしゅうのらん)の残党の征伐で忙しいようです。」
憲実「まだ乱の余波が残っているのか…」
憲実は守護所である板鼻に入った。
板鼻は現在の群馬県安中市辺り。
憲実「景仲、万一、戦が起こった時はこの守護所で対応できるのか?」
景仲「う…憲実様は板鼻では危ういとお思いで?」
憲実「そう思った。平時はここでよいが戦時には強固な城が必要だと思う。上野にも居城できる地を探してほしい。」
景仲「強固な城…わかりました。」
後に憲実は平井城を築城させるのである。
平井城跡
平井城は山内上杉家の本拠となるんだよね
憲実は上野の領内を勢力的に見回り、隣りの下野国に入ってしまった。
そこで見たのは、
憲実「景仲、ここは…」
景仲「下野国に入ってます。ここは足利荘(あしかがのしょう)です。」
憲実「これは寺か?」
景仲「廃寺では?」
ここで平太が口を開いた。
平太「憲実様、ここは兵学や史学、医学を学ぶ場所でありました。」
憲実「学びの場所…か…」
つづく…







