久しぶりにプロレスを語っていきます。
久しぶりに語るね〜
今回は「ジャイアント馬場さんが全日本プロレスが見せる時」と題して不定期に語っていきます。
1990年代、全日本プロレスは他団体と交流せず自社のレスラーのみで興行を行い、鎖国状態と言われました。
鎖国って江戸時代に日本が他国と交流せず、国を閉ざしていた状態のことを言っていたんだよね
1990年代は三沢、川田、田上、小橋の四天王を中心にハイレベルのプロレスを展開しており、とても人気がありました。
馬場さんは鎖国した意識はなく、他団体と交流せずとも間に合っていたと言っていました。
その全日本プロレスが他団体のリングに上がり、ベールを脱いだ時…これを語っていきます。
他団体のリング…どうなったんだ?
前史として1972年の旗上げ当初からは国際プロレスとの交流がありました。
馬場さんが国際プロレスのリングに上がったんだよね
1975年のオープン選手権には国際プロレスのレスラーが参戦、
1977年のオープンタッグ選手権にも国際プロレスのレスラーが参戦。
当時の国際プロレスはエースがラッシャー木村さんだったね
さらにジャンボ鶴田の「試練の10番勝負」の相手としてラッシャー木村が対戦しました。
さらにさらに大木金太郎の韓国軍を含めた三軍対抗戦なども行われていました。
国際プロレスが新日本プロレスとの交流を始めたことにより、全日本プロレスは国際プロレスとの交流は消滅しました。
では新日本プロレスとはどうだったのか?
つづく










