第77代の天皇さん。父は鳥羽法皇さんで異母弟の近衛天皇の急死で皇位に継いだんだよ。中継ぎとしての即位だったね。でも譲位後は長きに渡って院政を行なって動乱の中、平清盛さんや源頼朝さんと対立したりと渡り合ったんだよ。頼朝さんからは「日本一の大天狗」って言われたこともあるね。
崇徳上皇(すとくじょうこう)
第75代の天皇さん。父は鳥羽法皇さんなんだけど、白河法皇さんって説もあるんだ。それで鳥羽法皇さんから嫌われていたみたい。同母弟の後白河天皇の即位で院政が出来なくなり後白河天皇と対立。これが保元の乱になるんだ。負けて讃岐に流されてしまうんだよ。崩御した後、怨霊になったって説があるね。
藤原忠実(ふじわらのただざね)
藤原摂関家に生まれたけど、22歳の時に父の師通さんが早くに亡くなり、白河法皇の院政で摂関家が政を仕切ることは出来なかったんだ。何とか摂関家が仕切る政を目指したけど、息子で関白、忠通さんと仲が悪くなり、もう1人の息子、頼長さんを溺愛して、これが保元の乱の争いにも繋がるんだよ。
藤原忠通(ふじわらのただみち)
藤原忠実さんの次男で長く関白を務めたんだよ。子に中々恵まれず、弟の頼長さんを養子に迎えてたんだ。しかし、40歳を過ぎてから男子が生まれて、頼長さんとの縁組を破棄したんだ。父、忠実さんから関白を頼長さんに譲るように圧力かけられていて、忠実さん頼長さんと対立するようになったんだよ。
藤原頼長(ふじわらのよりなが)
左大臣を務めて父、忠実さんの後押しで藤原氏長者、内覧も務めたんだよ。厳しく妥協しない性格で周りから悪左府って呼ばれたんだ。兄、忠通さんと対立して保元の乱で争ったんだよ。乱で流れ矢が当たり、それが致命傷となって亡くなったんだ。
信西(しんぜい)
俗名は藤原通憲。出家して信西。妻が後白河天皇さんの乳母なんだ。その関係で鳥羽法皇さんの後ろ盾があったようだね。保元の乱で後白河天皇側として権力を振るい、乱後、長く行われていなかった死刑を復活させて崇徳上皇側の源為義さんらを処刑したんだよ。
今回は以上です。
今回、平氏の紹介は見送り、第3弾に回します。
本編は為朝が伊豆大島に流罪されてからのお話になります。
お楽しみに〜







