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近衛天皇
この後、御位に着くのは崇徳上皇(すとくじょうこう)の子、重仁親王(しげひと)か、近衛天皇の実母、藤原得子(ふじわらのなりこ)の養子、守仁親王(もりひとしんのう)が候補でした。
藤原得子
複雑な関係だけど、近衛天皇さんの父は鳥羽法皇さんで崇徳上皇さんも鳥羽法皇さんの子で近衛天皇さんの異母兄…でも崇徳上皇さんの父は既に亡くなった白河法皇(しらかわほうおう)さんと噂があるんだ
ところが御位に着いたのは別の人物…
それが後白河天皇(ごしらかわてんのう)。
後白河天皇(後に法皇となる)
後白河天皇は守仁親王の父ですが、今様にのめり込み、帝の位には難しいとされていました。
今様って宮廷で流行った歌謡のことなんだ
守仁親王は、まだ年少であり、父である後白河天皇が即位したのは、守仁親王が成長するまでの中継ぎでした。
もうひとつ、後白河天皇が即位したのは、崇徳上皇に院政をさせないため…
崇徳上皇
これは得子と後白河天皇の近臣、信西(しんぜい)の策でした。
崇徳『朕は…一度も政を行えないのか…』
天皇家は2つに割れていたのです。
一方、徳子や信西らに味方していたのが、関白・藤原忠通(ふじわらのただみち)でした。
藤原忠通
忠通の父である忠実(ただざね)は忠通より次男の頼長(よりなが)を溺愛し、関白職を巡り、忠実・頼長は忠通と争っていました。
藤原摂関家も2つに割れていたんだね
天皇家の状況を見た忠実は、
忠実「頼長、これは争いになるぞ。」
頼長「父上、我らは近衛天皇を呪詛したと噂が流れておりまする…兄や信西が流したと思います。」
忠実「我らが邪魔なのか…為義(ためよし)!」
為義は忠実に仕えていたのです。
為義「お呼びで」
忠実「いつでも戦をなってもいいように兵を集めておけ。」
為義「…申し訳ありませぬ。長男、義朝(よしとも)は鳥羽法皇に仕えてしまい、兵が思うように集まりませぬ。」
忠実「うむ〜、何をしておるのだ。」
頼長「為義、そなたには乱暴狼藉で追放された為朝なるものがいると聞いた。為朝を呼べ!」
為義「はい、今、九州より京へ向かっております。」
忠実「為義、ここが正念場ぞ。」
為朝の一行は嵐の京に近づいていました…。
つづく…
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