1987年の新日本プロレス世代闘争を語る⑨ | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

1987年10月4日、ついにアントニオ猪木さんとマサ斎藤との対戦が巌流島で行われました。




コアラ観客は入れなくて、新日本プロレス関係者とマスコミしかいなかったんだよね



この試合は翌日のワールドプロレスリングの特番で放送され、自分はそれを見ました。



観客はいないので、声援も怒号もなく、2人が戦う音とヘリコプターの音が響いてました。





結果、2時間5分14秒、猪木さんの勝利で決着がつきました。





猪木さんも斎藤も体力、気力…全勢力を尽くした死闘でした。




世代闘争が行われているはずが、全て猪木さんと斎藤の巌流島決戦に注目されました。



ワールドプロレスリングの特番では巌流島決戦と長州力のテレビマッチ復帰の2本立てでした。



コアラ長州さんはようやく全日本プロレスとの契約が切れてワールドプロレスリングに試合が出れるようになったんだよね。



長州のテレビマッチ復帰第1戦は藤波辰巳と行われましたが…



この試合は全く記憶に残っていません。



確か…藤波と前田日明のいずれかをコインで選び、藤波が当たった…前田さんとの試合は危険だったのかな?



無難に藤波が選ばれた…と感じました。



週刊プロレスも巌流島決戦を表紙にもってきましたね。





猪木さんは藤波、長州らに勝ったのです。




世代闘争は意味合いが薄れてきました。





つづく





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