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「平忠盛(たいらのただもり)、清盛(きよもり)に厳罰を与えよ!!」
「平家を許すな!!」
比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の大衆は神輿を奉じて強訴に及んでいました。
これが世に言う祇園闘乱事件(ぎおんとうらんじけん)だね
源義朝(みなもとのよしとも)と八郎(はちろう)は父、為義(ためよし)と合流し、大衆の入京を阻止するための軍勢に加わっていました。
そこへ平清盛が現れたのです。
義朝「清盛!こんなところに出てきて、大衆に見つかったら騒ぎが大きくなるぞ!」
清盛「知ったことか!義朝、お前らがあ奴らを何とかしろ!」
義朝「なんだと⁉︎元はと言えばお前の郎党が原因であろう!」
清盛「ならば…我が何とかしてやるわ!」
清盛は丘高いところへ行き、
義朝「こらっ!やめろ!!」
サッ!!
清盛は神輿目掛けて矢を放ったのです。
ガチッ!!
その矢は神輿に刺さったのです。
「うわわゎゎゎ!」
「矢が御神輿に!!」
「誰だ⁉︎矢を放ったのは⁉︎」
「恐ろしいことをしたのは誰だ⁉︎」
「神罰が降るぞ!!」
延暦寺の大衆は大騒ぎし、下り、そのまま去っていったのです。
八郎はそれを見て、
八郎「我も負けぬぞ!!やあっ!」
八郎は逃げていく延暦寺の大衆、目掛けて石を投げたのです。
義朝「こっ、コラッ!!八郎!!」
投げた石は神輿に当たったのでした。
それを見た清盛は、
清盛「ハハハハッ!義朝、その小僧の方ができるではないか!」
義朝「うるさい!!」
清盛「では、さらばだ!」
清盛は去っていきました。
八郎は清盛の後ろ姿を見て、
八郎『負けてなるものか!』
この祇園闘乱事件は鳥羽法皇(とばほうおう)様の裁定により、清盛の罰金刑で決着がついたのです。
清盛さんは三十斥の贖銅を命じられたんだよ。
久安3年(1147年)4月、大きな運命を持った子が生まれました。
義朝と由良(ゆら)の子で幼名、鬼武者。後の源頼朝(みなもとのよりとも)でございます…
つづく…
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