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怒鳴る為義の声をものともせず、
八郎「知らん!我は知らぬ!」
為義「あっ、待て!八郎!」
八郎は走り回って為義から逃げていました。
すくすくと…わんぱくに育った八郎でした。
この時期、為義は藤原摂関家(ふじわらせっかんけ)に仕え、家政警察権を行使する役割を担うようになっていました。
為義さんは警護、摂関家家人の統制、摂関家の荘園の管理なんかをやっていたんだよ
ただ藤原摂関家は藤原氏長者で関白の忠通(ただみち)と忠通の父の忠実(ただざね)、弟の頼長(よりなが)は不仲であったのです。
藤原忠通
忠通さんと頼長さんは兄弟だけど、年の差は23歳もあったんだよ
忠通は保安2年(1121年)に父、忠実が関白を辞任した後、藤原氏長者となり25歳で関白に就任。
ただ忠通には摂関家の後を継ぐべき男子が生まれず、弟の頼長を養子にしていました。
藤原頼長
忠実は頼長を可愛がり、忠通に藤原氏長者の座と関白職を頼長に譲るように迫っていましたが、
忠通「朝廷の職を私物化することはできませぬ」
と頑と譲ることはなかったのです。
忠通には40歳になって、やっと後継ぎになる男子が生まれ、その後も次々と子に恵まれ、頼長との養子縁組を破棄にしてしまいました。
忠通さんも自らの子を後継ぎにしたくなったんだな
こんな不穏な摂関家ですが、為義は忠実、頼長方に仕えていたのです。
わんぱくな八郎にはたくさんの異母兄がいました。
長男が義朝(よしとも)さんで八郎くんの兄は7人だな
歳の近い為宗(ためむね)、為成(ためなり)からは理不尽なことをされようとしていましたが、
為成「八郎!これを片付けておけ!」
八郎「…なぜ我がやらねばならないのか?」
為成「そなたは弟であろう!兄の言うことを聞け!」
八郎「それは兄上が出したもの。理不尽なことは八郎はやりませぬ。」
為成「なにを〜生意気な!」
為成は八郎に殴りかかっていきましたが、
八郎「ふん!!」
為成「うわぁ〜」
なんと投げ飛ばしてしまったのです。
こんな八郎に為義は手を焼いていました。
為義「いったい八郎はどうすればおとなしくなるのか…」
しかし、わんぱくな八郎も、ある女の子の前ではおとなしくしていました。
京の街に住む民の子でしたが、八郎は屋敷を抜け出し、その子のところに頻繁に遊びに行っていました…。
つづく…
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