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天下を競望せず…
わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。
天正14年(1586年)10月初め、元春は毛利輝元(もうりてるもと)、小早川隆景(こばやかわたかかげ)そして豊臣秀吉(とよとみひでよし)の軍師、黒田官兵衛(くろだかんべえ)と九州に上陸しました。
いよいよ九州の島津(しまづ)勢との合戦が始まったんだ
官兵衛「輝元殿、毛利勢は小倉城(こくらじょう)を攻めてくだされ。わしは豊前宇留津城(ぶぜんうるつじょう)を攻略いたす。」
現在の小倉城
輝元「わかり申した。関白(かんぱく)様(秀吉のこと)が来られる前に早く落とさねばな。」
官兵衛「元春殿もお願いいたす。」
元春「…わしはわしの戦いをいたす。」
小倉城を守るは島津方の高橋元種(たかはしもとたね)。
毛利軍は輝元自ら指揮を取りました。
毛利輝元
元春、隆景はともに攻め手に加わりました。
元春「久しぶりの戦じゃ。腕がなるわ。」
隆景「兄上…あまり無理はされるな。」
元春「ん?無理などしておらぬ。何のことだ?」
隆景「わしが何もわからないと思っておられるのか?兄上の身体のこと…」
元春「……さすが隆景だ。血を分けた弟には隠せぬな。」
隆景「医師からは兄上の命は、わずかだと…聞いております。兄上のことだから無理をすると思っていました。」
元春「隆景、わずかかも知れぬが、わしは力いっぱい戦うだけだ。島津とも秀吉とも…、では行くぞ!」
隆景の心配をよそに元春は自ら攻めていきました。
その姿はまさに猛将でした。
元春「元長(もとなが)、経言(つねのぶ、後の広家)!わしに遅れを取るな!!」
小倉城の城兵は、
「うわ〜」
「何だ!?」
「逃げろ!」
城から逃亡していき、小倉城は陥落したのです。
経言「やった!勝ったぞ!」
元春「……うっ、うぐっ!!」
経言「父上!!どうされました⁉︎ 父上!!」
元春は吐血し、倒れたのです…
つづく…
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