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天下を競望せず…
わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。
天正14年(1586年)8月…
「皆、立派に戦ってくるのですよ。ご武運をお祈りいたします。」
優(ゆう)は九州に向けて出陣する元春、元長(もとなが)、経言(つねのぶ、後の広家)を見送った。
毛利(もうり)家は総大将の輝元(てるもと)は吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)から、小早川隆景(こばやかわたかかげ)は伊予国から、それぞれ出陣した。
8月26日、既に九州に渡っている毛利の先遣隊の三浦元忠(みうらもとただ)は島津(しまづ)方の豊前小倉城(ぶぜんこくらじょう)の高橋元種(たかはしもとたね)勢と交戦したのである。
一方、島津方の島津義久(しまづよしひさ)と義弘(よしひろ)は、
義弘「兄上、毛利勢が攻めきましたぞ」
義久「うむ、毛利も秀吉(ひでよし)の手下になりおって…義弘、大友(おおとも)の城をじっくり落として領地を拡げる策、見直せねばならぬな。」
島津義久
島津義弘
義弘「ならば大友宗麟(おおともそうりん)の本国をわしが叩きます。」
義久「うむ〜、まずは状況判断をする。」
島津方は策の見直しを計っていた。
9月をなり、秀吉は朝廷から豊臣(とよとみ)姓を賜った。
豊臣秀吉
秀吉は弟、秀長(ひでなが)と喜びを分かち合っていた。
秀吉「秀長、ついにわしもここまできた。」
秀長「兄上、驕ってはなりませぬぞ。」
秀吉「わかっておる。しかし、徳川家康(とくがわいえやす)もわしに会いに大阪に来る。やっと来るぞ。」
この時、秀吉さんは家康さんを上洛させるために実母の大政所(おおまんどころ)を人質として三河に送ったんだよ
秀長「家康のことが終われば、次は九州にごさるな。」
秀吉「九州…もうひとつある。吉川元春との戦いがある。」
秀長「吉川?既に従っておるではないですか?」
秀吉「元春を従わせて、毛利は完全に落ちるのだ。まぁ見ておれ…」
10月、元春は九州に上陸したのだ。ここには秀吉の軍師、黒田官兵衛(くろだかんべえ)も一緒だった…
つづく…
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