猛将親父 〜第155話 四国国分〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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目次




天下を競望せず…

わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。


戦は終わり、元春は経言(つねのぶ、後の広家)と共に炎上した高尾城(たかおじょう)跡から戦場を眺めていた。







コアラ小早川(こばやかわ)軍は金子元宅(かねこもといえ)ら伊予の軍勢に勝ったんだよね



経言「父上、隆景(たかかげ)叔父上らの軍勢は河野氏(こうのし)をも降伏させましたが、我らは行かなくてよいのですか?」


元春「わしは河野討伐には要はない。」


経言「元宅(もといえ)殿との一騎討ちのみ…でしたね。」


元春「この戦、元宅は義を押し通したのだ。長宗我部(ちょうそがべ)と結んだばかりなのに毛利(もうり)に乗り換える…そんなことが許せなかったのだ。武士として…」



経言は本当は元春自身も秀吉(ひでよし)と戦いたかったのだろうと思った。


しかし、元就(もとなり)公の遺言が元春にそれをさせなかったのだ。




毛利元就



元春と経言は忍びの弥助(やすけ)の用意した水軍の船で安芸国に戻った。





天正13年(1585年)8月上旬、秀吉は四国の国分(くにわけ)を沙汰した。



長宗我部元親(ちょうそがべもとちか)は土佐一国。


長宗我部元親



伊予国は小早川隆景と来島通総(くるしまみちふさ)、そして安国寺恵瓊(あんこくじえけい)も領主となったのだ。



安国寺恵瓊



恵瓊は毛利の外僧として秀吉と接するうちに、秀吉に気に入られたのだ。


コアラ阿波国は蜂須賀(はちすか)、讃岐国は仙石(せんごく)らが封じられたんだよ





さらに秀吉は北陸へ遠征し、越中国の佐々成政(さっさなりまさ)を降伏させ、さらに強大になっていった。



そして藤原姓に改めて関白(かんばく)となったのだ…






つづく…




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