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大徳寺
この葬儀には織田家の重臣、柴田勝家(しばたかついえ)さんは不在だったんだ
筆頭宿老の柴田勝家(しばたかついえ)と秀吉の対立はさらに激しくなっていた。
この状況下で毛利輝元(もうりてるもと)のところには秀吉、勝家、双方から味方になるよう誘いがきていた。
輝元「う〜ん、これは、どうすればいいのか…?」
輝元の元には小早川隆景(こばやかわたかかげ)と吉川元長(きっかわもとなが)が来ていた。
小早川隆景
隆景「殿(輝元のこと)、今は当家の意志を見せてはなりませぬ。」
輝元「どっちつかずでよいのか?」
隆景「今の状況、どちらが勝つかわかりませぬ。」
輝元「元長、元春叔父上はなぜ来ないのだ?何をしている?」
元長「父上は日野山城(ひのやまじょう)に引きこもり、経言(つねのぶ、後の広家)と毎日武芸の稽古に励んでおりまする。」
隆景「…兄上(元春のこと)らしい。」
元長「父は毛利は他家の揉め事に絡んではならぬと申しておりました。毛利は毛利の領地を収めるのが元就(もとなり)様のご意志に沿うことだと…」
輝元「天下を競望せず…か」
日野山城では、
カラッ、カランッ
経言の木刀が地面に落ちた。
経言「くっ!」
元春「経言、拾え!まだ終わらぬぞ!!」
経言「わかっておりまする!まだまだ!!」
元長の言うとおり、元春は武芸の稽古をしていたのだ。
一方、備後の鞆にいる足利義昭(あしかがよしあき)は、
義昭「わしは勝家の味方をするぞ!!」
義昭は意志に勝家も承知したのだ。
さらに義昭は越後の上杉景勝(うえすぎかげかつ)と勝家を講和させるため、景勝に御内書を下したのである。
上杉景勝
勝家さんは北陸にいて、背後に越後の上杉景勝さんがいて敵対関係にあったから、義昭さんが仲介したんだね
義昭「これで上杉は問題ない。勝家が勝てば、わしは京に帰れる。後は毛利を勝家の味方にせねば!」
その年の末…元春は一大決心をした。
元春は日野山城で妻の優(ゆう)、元長ら家族全員、家臣らを集めた。
そして…
「わしは隠居いたす!」
つづく…
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