チャレンジ国際プロレスを語る〜(最終回)エース、ストロング小林 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

1971年6月19日、アメリカはミネソタ州ダールスで遠征に来ていた国際プロレスストロング小林は、ビルミラーを破り


IWA世界ヘビー級王座を奪取したのです。



コアラでも小林はミラーと試合はしてないって説もあるみたいだね




小林は凱旋帰国し、6月のビッグサマーシリーズに参戦。


チャックカルボとの初防衛に成功し、ここからチャンピオンとして連続防衛25回を達成したのです。


コアラ当時、この連続防衛数は力道山馬場さんの記録を抜いたんだよね



対戦相手もAWAからの強豪レスラーが多く、ブラックジャックランザ、レッドバスチェン、バロンフォンラシク、ダスティローデス、クラッシャーリソワスキー、ホーストホフマン、マッドドッグバション、ディックマードック、ビルロビンソンらがいました。



ホーストホフマン



さらに第4回IWAワールドシリーズでは、強豪レスラーが参加する中、




コアラうわぁ、ロシモフにラシク、ドンレオジョナサン、ジョージゴーティエンゴと凄いメンバーがいるね



小林はモンスターロシモフと決勝戦を戦い、





ロシモフに勝ち、日本人レスラーとして初優勝したのです。



国際プロレスはようやくエースと呼べる日本人レスラーが誕生したのではないでしょうか。


コアラサンダー杉山さんもIWA世界ヘビー級チャンピオンになったけど…橋渡しだったかな




小林は同門のラッシャー木村とも王座をかけて対戦。



小林は見事、木村を退け防衛しています。



かつて国際プロレスのブッカーとなったグレート東郷が小林をアメリカに連れて行こうとしましたが、小林にはスターとしての素質があったのでしょう。




1972年11月、愛知県体育館での日本プロレスとの興行戦争があり、長年、日本プロレスに負けていましたが、日本プロレスは主催者発表の観客動員数4,000人(実数は2,000人)に対し、国際プロレスは超満員札止めの8,500人で興行戦争に勝ったのです。



コアラただ…この時の日本プロレスは馬場さんも猪木さんも脱退した後なんだよね






国際プロレスの旗上げから語ってきましたが、ここら辺りで終わりといたします。

(この後を語ると崩壊までと長くなってしまうので…)



吉原功社長がパイオニア精神を持ってチャレンジした国際プロレス。


小林と言うスターの誕生でようやく花開いたのではないでしょうか。




長々と書きましたが…ご覧になって頂きありがとうございました



おわり



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