猛将親父 〜第116話 不穏な播磨〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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目次




天下を競望せず…

わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。



「帰れ!!」
「言われなくとも帰りまする!!」

天正5年(1577年)に播磨国の上月城(こうづきじょう)を攻略した羽柴秀吉(はしばひでよし)は今後の毛利(もうり)中国攻めにおいて、播磨の主な武将、国人衆と加古川城(かこがわじょう)で評定を行なっていた。

加古川城跡(現在は称名城が建っています)


コアラこの評定を加古川評定って言うんだよ



秀吉は播磨の武将、別所長治(べっしょながはる)の代理で参加していた叔父の吉親(よしちか)と揉め、吉親は退出したのであった。



この様子を密かに見ていた忍びがいた…







元春は対織田軍に備えて日野山城(ひのやまじょう)で兵馬を整えていた。




そこへ忍びが現れた。


元春「お前は…殿(輝元のこと)お仕えの忍び、世鬼政定(せきまささだ)ではないか。」


政定「はい、先ほど播磨から戻りました。」


元春「先代の政時(まさとき)より家督を受け継いだそうだな。殿お仕えの忍びはわしに何用か?」


政定「加古川での羽柴軍の評定を見てまいりました…この後、別所が羽柴軍より離れるのではないかと…」


元春「別所?織田方に付く播磨の武将ではないか?」



政定は見たままを元春に伝えた。



元春「うむ〜…わかった。政定、隆景(たかかげ)にも同じことと、出陣の備えをしておけと伝えよ。」






しばらくして、元春と隆景は輝元(てるもと)から吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)に呼ばれた。




そこには足利義昭(あしかがよしあき)の家臣、細川輝経(ほそかわてるつね)がいた。



輝元「公方様(義昭のこと)からの使いじゃ。」


輝経「毛利の方々、公方様が帰京できる機会が来ましたぞ。」


隆景「それは如何なることでしょう?」


輝経「公方様は各地の武将に織田討伐を促しているが、それに別所長治が答えてくれるのだ。」



元春と隆景は顔を見合わせた。


『やはり…』



輝経「さらには摂津の荒木村重(あらきむらしげ)も織田に反旗を翻す予定だ。」


元春「荒木が⁉︎」


荒木村重



コアラ荒木村重さんは織田に付いているんだよ


輝元「これならば今、播磨にいる織田方を追い出すことができよう。」


輝経「ここで毛利殿が進軍すれば信長とてひとたまりもあるまい。頼むぞ。」




輝経が帰った後、元春は輝元、隆景と話し合った。


元春「殿、出陣の準備はできておりまする。されど、早まってはなりませぬ。」


隆景「まずは別所の動きを見ることが肝要。それに宇喜多直家(うきたなおいえ)の動きも気になりまする。」


輝元「宇喜多は毛利の味方であろう。それにこの機に乗じて上月城の尼子(あまこ)を討伐もできる。」


元春「殿!動くのなら毛利の総力をかけまする。だからこそ、ここは慎重に行き、その時を待ちましょう。」




その時はやってきた。


天正6年(1578年)2月、別所長治は毛利に付くことを宣言し播磨の三木城(みきじょう)に籠ったのだ…






つづく…



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