チャレンジ国際プロレスを語る〜エースは草津 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

テレビ中継が決まった国際プロレス…改めTBSプロレスはエースにグレート草津を任命しました。



コアラ左側は草津さん、右側はサンダー杉山さんだね



グレート草津…自分はリアルタイムでは試合を見たことはなく、後にいろいろと知りましたが…はっきり言って印象は最悪です。



草津はラグビーで活躍し日本代表に選ばれるほどでした。日本プロレスに1965年、入団しましたが練習嫌いで道場での練習に参加せず、さらには先輩レスラーに生意気な態度だったため、道場での練習に参加した際にはかわいがり…ようは袋叩きにあっていました。


それもあってか、デビュー25戦で怪我を理由に日本プロレスを退団しました。


コアラ練習しないから怪我したんじゃないの?



その後、同じく日本プロレスを退団したサンダー杉山と共に吉原功さんに誘われ国際プロレスに入団します。



その後、当時ブッカーだったヒロマツダのルートでアメリカはフロリダに武者修行の遠征しました。


将来のエース候補として新人としては異例のルーテーズなどの大物と対戦するという高待遇を受けています。



コアラこの頃、NWA世界チャンピオンではなかったけどメインを張れる超大物、それがテーズさんだよね



ところが、草津はアメリカンフットボールへの転身を企て、ヒロマツダに承諾も得ず、カナダのバンクーバーに行き、フットボールチームの入団テストを受けたのです。

(もちろんマツダが怒ったのは言うまでもありません。)



しかし、フットボールチームに入団は出来たものの、2軍扱いとなり、嫌気がさした草津はフットボールへの転身を断念したのです。


コアラなんだ、それ?



バンクーバーで再びプロレスラーとして再起を図ろうとしましたが、2ヶ月ものブランクのある新人レスラーが試合を組んでもらえるわけがありません。



そんな時に国際プロレスを中継するTBSの森氏が現れたのです。



草津は森氏からマツダが国際プロレスを離脱したこと、TBSが全面バックアップすることを聞き納得して帰国を決意したのです。




片や、杉山はしっかりと海外武者修行でトーキョージョーのリングネームで各地区で活躍しました。




コアラ来日前のアブドーラ・ザ・ブッチャーさんやファンクスとかと試合をしてるんだよね



帰国した草津は森氏と記者会見を行いました。



TBSプロレスと団体名の変更を発表、1968年1月のオープニングシリーズを発表したのです。



グレート東郷のブッキングでルーテーズ、ダニーホッジ、ハンスシュミット、ワルドーフォンエリック、ブルドッグブラワー、レフェリーとしてフレッドアトキンスの豪華外人レスラーの参加が発表されました。




コアラ当時の豪華外人レスラーだね。ちなみに中央にいるのは後のラッシャー木村さんだね



さらにオープニングマッチの1月3日の日大講堂大会で草津をルーテーズの持つTWWA世界ヘビー級王座に挑戦させると発表されました。



このTWWAはカナダ・バンクーバーの大物プロモーター、フランクタニーを会長に据えたTBSプロレスのために作られた組織で、王座も急造されたものだったのです。






つづく





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