猛将親父 〜第81話 毛利軍伊予へ〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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目次



天下を競望せず…

わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。



永禄10年(1567年)10月、毛利氏(もうりし)は伊予国河野氏(こうのし)よりの依頼で援軍として伊予国に出陣する…予定だった。




コアラ伊予国は現在の愛媛県だよね



「村上通康(むらかみみちやす)殿が亡くなった!


村上通康


コアラ通康さんは河野氏の重臣で毛利氏とは厳島の戦いで村上水軍として加勢した繋がりがあるんだよ



毛利では元就(もとなり)も元春も小早川隆景(こばやかわたかかげ)も衝撃を受けた。


今回、通康とのやり取りをしていた隆景は、


隆景「通康殿は陣中で倒れ、急ぎ道後の湯築城(ゆづきじょう)に帰還したが…そこで息を引き取ったと報せが入りました。」




元春「急過ぎるではないか…暗殺ではないだろうな?」


隆景「それは…わかりませぬ。」


元就「隆景、いかがいたす?」


隆景「父上、通康殿は我が毛利の大決戦であった厳島の戦い(いつくしまのたたかい)の恩人です。此度の援軍は我らの戦いでもあります。」


元春「よう言うた!隆景。」


隆景「伊予の情勢に詳しい我が家臣、乃美宗勝(のみむねかつ)は伊予の戦いは我らが行かねば河野家は立ち行かぬと言っております。」


元就「うむ、そなたの決意があればそれでよい。出陣致せ。」





その後、隆景は通康亡き後、来島村上家(くるしまむらかみけ)の一族、村上吉継(むらかみよしつぐ)と連絡をやり取りをした。





伊予国では永禄11年(1568年)1月に土佐一条氏(とさいちじょうし)が対立していた西園寺氏(さいおんじし)に圧力をかけ従属され、一条軍は伊予国の高島に陣を置いた。


コアラ西園寺氏は河野方だったんだ。これで一条、宇都宮、西園寺と河野の対立になったね



通康亡き後の河野軍は村上吉継が主力となって鳥坂峠(とさかとうげ)に城を築いた。




これが鳥坂城(とさかじょう)。


ここで激戦が行われたが決着はつかず、両軍睨み合いとなった。





こう着状態の中、3月中旬、毛利軍は渡海を始めたのである…





つづく…






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